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    • 2023.12.18 Monday
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    007おしゃべり箱 Vol.44−1 『原作小説紹介/ロシアから愛をこめて』

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      「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

       

      007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

       

      Vol.44-1

       

      『原作小説紹介/ロシアから愛をこめて』

       

      Ian Flemings From Russia with Love

       

      【ストーリー編/6

       

      by 紅 真吾

       

        007号=ジェームス・ボンドが活躍する原作小説の作目 『ロシアから愛をこめて』(1956年) の紹介です。 (映画化最初の邦題は 『007/危機一発』、その後 『ロシアより愛をこめて』 の邦題でリバイバル公開でした

        特別編(3)『原作リスト』で記した通り、「読んでいない人も読んだ気になれる」、「読んだのははるか昔で、内容を忘れてしまった人も記憶が甦る」、を目指して、あらすじを詳しく踏み込んでいきます。 今回は、

      【ストーリー編1/6】 【ストーリー編2/6】 【ストーリー編3/6】

      【ストーリー編4/6】  【ストーリー編5/6】 【ストーリー編6/6】

      【解説編1/2】 【解説編2/2】   といった構成でお届けします。

         では、どうぞ。 

       

      *****

       

        6月のある昼下がり、敷地をたっぷりとった別荘のプールのそばの芝生の上で、1人の男が裸でうつぶせになっていた。

        屋敷のガラス扉を開けて、小さなショルダーバックを下げた若い娘が男に向かって歩いてきた。

        娘は男の近くまで来るとバックを放り出し、シャツを脱ぐとたたんでバックの側に置いた。

        娘はシャツの下には何も着けていなかった。 娘はスカートも脱ぐと海水パンツ1枚になって、バックからオリーブオイルの瓶を取り出し、男の身体のマッサージを始めた。

        娘はこの2年間というもの男の身体をマッサージしていたのだが、この男の禍々しい筋肉には嫌悪感を抱いていた。

        男は度々留守にする事があったようだ。 その時は、病院の院長から1週間か2週間、時には1ヶ月近く休むように言われるのだった。

        戻って来た男の身体が傷だらけだった時もあった。

        彼女が初めてこの屋敷に派遣された時、屋敷の男の1人に「見た事をしゃべったら監獄行きだ」と言われた。 また、病院へ戻ると、院長からも同じ事を言われた。

        男はきっと国家保安省の仕事をしているのだろう、と娘は思った。

        そんな事もあって、彼女は男に対して恐怖心が拭いきれなかったのだった。

       

        だしぬけに屋敷の中から電話の鳴る音が響いた。 男が顔を上げた。

        ほどなくして男が1人戸口に現れ、こちらを手招きする。

        すると、男は裸のまま駆けだしていった。

        娘は立ち上がるとプールに向かって足を進めた。 何もしないでじっとしていたら、聞き耳を立てていたと勘繰られてしまう。 娘はそのままプールに飛び込んだ。

        彼女にとって、男が何者であるか知らない、という事は幸せだったのかもしれない。

        男の本名はドノヴァン・グラント。 別名、レッド・グラント。 が、ここソ連ではグラスノ・グラニトスキーと呼ばれていた。

        彼こそは、国家保安省の殺人機関=スメルシュの首席執行官だったのである。

       

        電話はモスクワからの呼び出しだった。 グラントはシャワーを浴びるとスーツケースを取り出し、荷造りを始めた。 外で車が停まる音が聞こえた。 

        彼はスーツケースを下げて外に出ると、私服姿の運転手の隣りに乗り込んだ。

        グラントが住む別荘は、クリミヤ半島の南東部、俗に「ロシアのリヴィエラ」と呼ばれる高級保養地にあった。 こうした場所に住居が与えられたのは、大変な特権なのだった。 グラントは、そんな特権を矜持するに値する仕事がやって来た、と解っていた。

        車は1時間ほど走って空港に着く。 そこには既に小型機が彼の到着を待っていた。

       

      *****

       

        ドノヴァン・グラントは、アイルランドはベルファーストの郊外の村で私生児として生まれた。

        母親は彼を生むとすぐに産褥熱で死んでしまい、彼は叔母に預けられた。

        子供のころから乱暴者で、村の鼻つまみ者だったが、ボクシングの才能にめぐまれた。

        16歳のある満月の晩、彼は「あの感じ」に目覚めたのだった。

        始めは猫や犬を絞め殺して爽快感を味わっていたが、そのうちに浮浪者の喉を切ったり、夕方に逢引きに出かける娘を絞め殺すようになった。

        村々で自警団が組まれるようになると、彼は手遅れになる前に、ベルファーストの街に出て貧相なボクシング・ジムに身を置いた。

        1945年、18歳の時、ライト・ヘヴィー級の選手権を得たが、すぐに軍隊に徴用されて通信隊の運転手となった。 軍隊での満月の晩は、ウイスキーをガブ飲みして「あの感じ」を紛らわしていた。

        ほどなくして彼の部隊はベルリンへと派遣された。

        ベルリンでも月に1度の「あの感じ」を酒で紛らわしていたが、ロシア人の残忍さや陰険さの噂を聞きつけると、全てが気に入ってしまい、ソヴィエトに行く決心をした。 だが、その具体的な方法までは思いつかぬまま、毎日を過ごしていた。

        そんな時、欧州派遣全英軍のボクシング選手権大会が、偶然にも満月の晩に行われたのだった。

        グラントは特殊部隊代表として出場したが、ホールドとローブロウの反則を繰り返したので失格となってしまった。

        部隊長は「我々の面汚しだ」と、グラントを罵ると、補充兵が到着次第にイギリスに送還する、と言い放った。

        彼と一緒に仕事をする者が誰もいなくなったので、グラントは、オートバイ伝令班に移された。

        彼は数日の間機会をうかがっていたが、ある日情報本部から出す手紙を全てかき集めると、ソヴィエトの占領地区に駆け込んだのだった。

        そこでは彼はトラックに乗せられた。 15分ばかり走って停まったのは、大きな建物の中庭だった。

        最初は窓の無い独房に放り込まれた。 1時間ほどして引きずり出され、連れていかれたのは居心地の良さそうな部屋だった。

        大佐の肩章を付けた男が、デスクの向こうに座っていた。

       

      「それでは、君はソヴィエト連邦で働きたいと言うんだね」 そう言いながらも、国家保安省の大佐はこの無学な男の相手をするのにうんざりしていた。

      「そう、あんたがたの下で働きたいんですよ」

      「しかし運転手はもちろん、労働者の人手も十分に足りているのだがね。 いったい君には何が出来るというのかね?」

      「あたしは人殺しが特技なんですよ。 人を殺すのが好きでしてね」

        大佐は男が気がふれていると思った。

      「あたしの言った事が信じられないんですね。 こっちでは荒っぽい仕事は誰がやってるんです? あたしならその連中の代わりに誰でもばらして見せますぜ」

        大佐は苦り切ってグラントを見つめた。 しかし、ここは上に報告しておいた方がいいかもしれない。

      「ここで待っていたまえ」 大佐は立ち上がると隣りの部屋に入った。 そしてモスクワ直通の電話で、スメルシュの作戦部長を呼んだ。

       

        部屋に戻った大佐はグラントに、「英軍の占領地区にバウムガルデン博士というドイツ人が居る」、と切り出した。

        イギリス軍の軍服を着たまま博士に手紙を届け、博士が1人のところで会わなければならない、と言って2人になったところで博士を殺せ、そう大佐は言った。

      「うまくやってのけたら、そういった仕事をもっとくれるんですよね」

      「やれるだろう。 が、先ずは手並みを見せて貰わんとな。 仕事を片付けたらソ連地区に戻ってボリス大佐に会いたい、と申し出るんだ」

        西ドイツ側スパイの要人を手際よく殺害したグランントは、飛行機に押し込まれモスクワへと送られた。

       

        それからの1年間は、ほとんど刑務所生活と同じだった。 スパイとしての訓練とロシア語の特訓だったのである。

        1年後、グラントの書類を手にした保安省の人事課長は、「スメルシュ2課行き」と、決済した。

        スメルシュに送られたグラントは、再び外人スパイ学校に送り込まれた。

        「一般政治学」の各科目は全て落第点であったが、「技術課程」に進むと優秀な成績を収めた。

        こうしてドノヴァン・グラントについての最終報告は「政治的価値:皆無、作戦上の価値:優秀」という、スメルシュにとっては理想的な人材を得る事となったのだった。

        1949年、1950年と、グラントはソヴィエト衛星諸国で数々の仕事をこなした。

        満月の夜には、彼自身でも抑制が効かないという事は上司も解っていたので、上司は彼を刑務所に連れて行き、様々な凶器を用いての死刑を行わせていた。

        1951年から52年になるとグラントは、ますます重宝がられるようになった。

        こうしてレッド・グラント=グラスノ・グラニトスキーは、スメルシュの首席執行官となったのである。

       

      *****

       

        グラントの乗った飛行機がモスクワ郊外の飛行場に着陸しようとしていた11時頃、スメルシュ本部の小さな会議室には、長官であるグルボザボイスチコフ大将がいた。

        電話の1つが小さなブザー音を上げた。

      「シーロフだ。 何か手を打ってあるかね?」

      「これから会議を行います、同志将軍。 今度は私自身が準備から監督します。 ホロロフ事件の二の舞はごめんですから」

      「その会議が終わったら電話をくれたまえ。 明日の朝の最高幹部会に報告するから」

      「かしこまりました、同志将軍」

        そして副官を呼ぶと、「みんな揃っているか?」と尋ねた。 「はい揃っております、G将軍」

        局内ではグルボザボイスチコフ大将はG将軍、と呼ばれているのだった。

      「よし、通せ」、G将軍が命じた。

        6人の男たちが入って来た。

        陸軍参謀本部情報課長=スラーヴィン中将とその副官。

        外務省情報部長=ヴォズトヴィシンスキー中将とその副官。

        秘密警察である国家保安省情報部長=ニキーチン大佐とその副官である。

      「こんばんは、同志諸君」 G将軍が声をかけると、3人の高級将校からいっせいに、「こんばんは、同志将軍」と、挨拶が返された。

        彼らはこの部屋に録音装置が仕掛けられている事を知っていて、必要最小限の事しか口にしないよう用心している。

      「タバコをやろうじゃないか」 G将軍はそんな彼らの胸の内を見透かすと、自身もモスクワ・ボルガの包みを取り出した。

        そしておもむろに、今夜の会議はシーロフ将軍の命令によるものだ、と切り出した。

        国家の政策を助ける具体的な行動方針を協議し、最高幹部会に上申するためだと。

      「我々が上申するのは、敵の領土での効果的なテロ活動だ。 それも3ヶ月以内にだ」

        6人の目がG将軍を見つめた。

      「同志諸君、我がソヴィエト社会主義連邦の対外政策は、硬軟2方面で順調に成果を挙げている」 G将軍はこう語ると、具体的な成果をいくつか挙げていった。

        6人の表情から不安と緊張が消えていく。

      「しかし同志諸君」 ここでG将軍は静かに言った。

      「我が国の政策遂行に水を差したのはどこの部署だったか? 我が国が強硬策を取っている時、軟弱だったのは誰か? 多くの部署があらゆる方面で勝利を勝ち取っている時、敗北を続けていたのは誰だ?」 G将軍の言葉は絶叫に近かった。 そしてデスクを叩くと大声で叫んだ。

      「ソ連情報機関の全てだ! グズで怠け者だったのは、我々だ!」

        G将軍は近年の失敗をいちいち挙げて怒りをあらわにした。

      「同志諸君」 G将軍は、ここで言葉を和らげた。

      「我々情報機関にとっては、ここで大きな勝利となる計画を立案せねばならない。 そして、それが最高幹部会で承認されたならば、完璧に遂行されねばならないのだ」

        G将軍は、自分の言葉が彼らに浸透するまで待った。 そしておもむろに言葉を続けた。

      「失敗は、大きな不興をかう事になろう」

       

      *****

       

        農奴たちは鞭を受けた。

        G将軍は彼らが自分たちの傷を舐める時間を得られるように、しばし口を閉ざした。

        誰1人弁解の言葉を口にしなかった。 また、同罪であるはずのスメルシュ長官から叱責を受けねばならない理由をたずねる者など居なかった。

        誰もがG将軍の後ろにシーロフ将軍が居る事を、十分過ぎるほど理解していたのである。

      「同志諸君、あまりビクビクするのはよそうじゃないか。 どの様なテロ活動にせよ、私のところで実行せねばならないだろうからな」

        かすかな安堵のため息がテーブルを覆った。

      「そうは言っても、正しい目標を選ばねばならないと云う我々の責任は重い」 G将軍はそう言うと、おもむろに説明を始めた。

        どこかの建物を爆弾でふっ飛ばすとか、誰それを暗殺するとか、そんなバカ騒ぎではだめだ。

        西側の情報機関に大きな痛手を与える事が肝心なのだ。

        一般市民の耳には決して入らないが、各国の情報機関の間では何年にも渡って恥さらしになる様なスキャンダルとせねばならない。

        もちろん、奴らは我々の陰謀であった事に気が付くだろう。 そうなれば奴らは我々の巧妙さに震え上がるだろうし、日和見的な態度を取ってきた連中も考え直さざるを得なくなる。 我々の側の情報部員たちも活気づくに違いない。

       

      「さて、同志ヴォズトヴィシンスキー中将、西側の情報機関の軽重についての意見を聞きたい。 その上で痛めつけてやるべき相手を選ぶとしよう」

        外務省情報部長のヴォズトヴィシンスキー中将は、突然の指名を受けたにもかかわらず、慌てる事無く口を開いた。

      「ノルウェー、オランダ、ベルギーなどの小国でも単独で活動している優秀なスパイがいますが、こういった小国は心配する必要は無いでしょう。 ただし、スウェーデンとなると話しは別です。 あの国はこれまで我々をスパイし続けてきましたし、バルチック方面の情報をよく掴んでいます。 スウェーデンの情報機関こそ、潰してやりたいと思います」

        ここでG将軍が意見をはさんだ。

      「スウェーデンとの間には、始終スパイ騒ぎが起こっている。 今さら1つや2つ増えても世界は注目せんだろう。 ま、先を続けてくれたまえ」

      「イタリアは考え無くていいでしょう。 活発に活動はしていますが、我々にとっては何の害もありません。 スペインも同じです。 しかしフランスに対しては我々はだいぶ浸透しているのですが、あそこの参謀本部第2課が手強いです。 そこのリーダーでマチスという男が居ますが、彼なら目標として食指をそそられます」

      「フランスは勝手にやらせておけばいいさ」 G将軍は言い捨てた。

      「英国も問題です。 英国の情報機関は優秀です」

        G将軍を含めて、出席者の全員がしぶしぶ頷いた。

        ヴォズトヴィシンスキー中将は英国情報部の優秀な点を挙げたが、敵を褒めてしまっては、と口調を変えた。

      「とにかく、奴らについてはシャーロック・ホームズの様な伝説的な賞賛を集めています。 片付けるにこした事は無いでしょう」

      「アメリカはどうかね?」

        G将軍は、英国情報部を褒め過ぎて慌てて取り消そうとしているヴォズトヴィシンスキー中将の狙いを押さえるつもりで、そう問いかけた。

      「アメリカは敵の中では最大です。 豊富な設備や施設を持っています。 しかし、スパイ活動のセンスがありません。 何でもカネで片付けようとしています。 そんな連中がほとんどです」

      「しかし、アメリカは成功を収めているよ、同志将軍。 君はアメリカを少々見くびってやしないかね?」

        ヴォズトヴィシンスキー中将は肩をすくめた。

      「そりゃ多少は成功するでしょう、同志将軍。 種を百万も蒔けば1つぐらいの馬鈴薯は必ず採れますから。 私としてはアメリカは除外していいと思います」

      「たいへん面白い意見だった」 G将軍は冷ややかに言った。 そして「同志スラーヴィン中将はどうです?」と水を向けた。

        陸軍参謀本部を代表して呼び出されたスラーヴィン中将は、自分自身を危険な羽目に陥らせるつもりは無かった。

      「同志ヴォズトヴィシンスキー中将の意見を興味深く拝聴しました。 私としては、付け加える事はありません」

        国家保安省のニキーチン大佐は、この場の流れを整理していた。

        出席している誰もが考えている事、G将軍の舌の先に出かかっている意見を、適当に述べても危険は無かろうと考えた。

      「自分はテロ活動の目標としては、英国情報部がよいと思います」 ニキーチン大佐はきっぱりと言った。

       

        G将軍は英国を目標とすべき演説をふるうつもりだったので、ちょっと鼻白んだ。 が、すぐに議長としての威厳を見せて、「今の同志ニキーチン大佐の意見に、異存は無いかな? 同志諸君」と、問いかける。 全員が頷く中、「私も同意する」と言った。

        G将軍は続けた。 英国情報部が持つ偶像はどこから来ているのか? 指導者か? ならばその情報部のトップは何者なのか?

        ニキーチン大佐は、自分が答えるべき質問なのだと、腹をくくった。

      「海軍の将官でMと呼ばれている男です。 実はあまりよく解っていません。 しかし、この男を消し去っても大した騒ぎにはならないでしょう」

      「君の言う事も一理ある」 G将軍は言った。 「しかし、情報部の立役者というような、部内で崇拝されていて、そいつが不名誉な死をとげたならば連中にとって大きな打撃になるような相手はおらんのかな?」

        その場の誰もが記憶を探り、部屋の中が静まり返った。

        沈黙を破ったのはニキーチン大佐だった。   ためらいがちに彼は口を開いた。

      「ボンドという男がいます」

       

      *****

       

      「そうだった!」 G将軍はデスクを叩いた。 「同志ニキーチン大佐、君の言う通りだ。 ジェームス・ボンドという男がいた!」

        G将軍は、イギリス情報部のボンドによって、少なくとも2回は痛手をうけた事を思い出す。 そして、「私がこの部の監督の地位に就く前の事だが」、と前置きして、ボンドが出しゃばって来たせいでル・シッフルと云うフランスでの優秀な指導者を消さなければならなかった事、アメリカにおける優秀な協力員であったミスター・ビックがボンドによって殺されてしまった事、を語った。

        ニキーチン大佐も口を開いた。

      「我々もドイツ人ドラッグスと例のミサイル事件で、同じような目にあいました」

        陸軍参謀本部情報課長のスラーヴィン将軍が手を上げた。 このミサイル事件は陸軍情報部の作戦だったので、その失敗は参謀本部の責任にされてしまったのだった。 ニキーチンはそれを承知で発言したと云う事は、例によって国家保安省が陸軍参謀本部の足を引っぱろうとしているに違いない。

      「この男はそちらの課で片付けて頂きたいとお願いしたはずですぞ、同志大佐!」 スラーヴィン将軍は強い口調で言った。

        ニキーチン大佐は怒りを抑えつつ、「参謀本部からのご依頼は、上層部の決済が得られなかったのです。 これ以上この件でイギリスと事を構えたく無かったのでしょう。 いずれにしても正式な要請が国家保安省に降りていれば、当然スメルシュに一任されていたはずです!」

      「私の所にはそんな依頼なぞ無かったぞ!」 G将軍がすぐさま応じた。 が、すぐに「とにかく今はそんな過去の話しを詮索している場合では無い」と、その場を落ち着かせた。

        そしておもむろに内線電話を取ると資料室を呼び出し、イギリスの秘密情報部員・ジェームス・ボンドの記録書類を持ってくるよう命じた。

       

        ほどなくして、副官がぶ厚いファイルを持って入ってきた。 彼はG将軍の前にファイルを置くと、静かに出ていった。

        G将軍はファイルを開いて、写真の入った封筒を取り出した。 写真の1枚1枚を丹念に見ると、ニキーチン大佐に回す。 ニキーチンは目を通しただけで次へ回した。

        写真が回っている間、G将軍はファイルをペラペラとめくって目を通していく。

        写真が戻ってきた時、G将軍はページを押さえたまま顔を上げた。

      「やはり、かなりしぶとい男のようだな」 凄みのある口調だった。

      「経歴を見てもわかる。 ちょっと拾い読みしてみよう」 G将軍はそう言うと、ファイルのそこここを読み上げながら、ページを進めていく。

        そして最後の部分を読み上げた。

      「結論、この男は危険なテロリストであり、スパイである。 作戦中にこの男に遭遇せる場合は、その事実ならびに詳細を本部に報告のこと」

        G将軍はファイルを閉じると、さっぱりした手つきで表紙を叩いた。

      「さて同志諸君、異議は無いかね?」

      「ありません」 ニキーチン大佐、スラーヴィン中将、ヴォズトヴィシンスキー中将、が順に答えた。

        G将軍は再び電話を取り上げると副官に、「ジェームス・ボンドの死刑執行令状を作ってくれ」と命じた。

      「今度の作戦は絶対に成功させねばならない。 あのホフロフ事件の二の舞は御免だからな」

        ドアが開いて副官が派手な黄色い紙を持って来た。

        G将軍はその文面に目を通すと、「殺害すべし。グルボザボイスチコフ」と書き入れて次に回した。 「殺すべし。 ニキーチン」、「殺すべし。 スラーヴィン」、と次々に書き込まれた。

        ヴォズトヴィシンスキー将軍も「殺すべし」と書き込む。 そして「用件がこれだけでしたら」とイスを後ろに下げた。

        G将軍は内心ほくそ笑んだ。 勘は当たっていたのだ。 ヴォズトヴィシンスキーを監視して奴の疑いをシーロフ将軍に伝えなければならない。

      「ちょっと待ちたまえ、同志将軍、付け加えたい事がある」

        書類が戻ると改めてペンを取り直し、「殺すべし」に線を引き、「辱めて殺すべし」、と書き直した。

      「ごくろう、同志諸君。 これで終了だ。 では、おやすみ」

       

        一同がぞろぞろと出ていくと、G将軍はテープレコーダーのスイッチを切って副官を呼ぶベルを押した。

        入ってきた副官に黄色い紙を手渡し、「すぐにシーロフ将軍に届けさせろ。 そしてクロスティーンの居所をつきとめてすぐに連れてこい。 それと、10分以内にクレッブ大佐に会いたい」と、言った。

      「承知しました、G将軍」

        副官が部屋を出ていくと、G将軍はシーロフ将軍に報告の電話を入れた。

        しばらくするとドアが開き、副官が入り口に立った。 「同志クレッブ大佐がお見えになりました」

        軍服の胸にレーニン勲章の赤いリボンを付けた、ヒキガエルみたいな姿が入って来た。

      「こんばんは、同志大佐」 G将軍は手近な席に手を振った。

      「こんばんは、同志将軍」 作戦と執行を担当するスメルシュ2課の課長は、ぐいとスカートを引き上げてから腰を下ろした。

       

      *****

       

       クロスティーンはチェスのモスクワ選手権を賭けてマハロフと対戦していた。

       クロスティーンの勝利は目前だった。 彼は駒をつまむと、とどめの一手を指した。

       壁に掛けられた大きな譜面を見つめる客席から、静かなどよめきが起きた。

       その時、1人の男がロープをくぐり抜けると、審判に耳打ちした。  審判はかぶりを振って、2人の持ち時間を示す時計を示す。

       が、男が一言囁くと、審判はしぶしぶベルを鳴らした。

      「同志クロスティーンに急を要する連絡が入りました。 3分間休憩とします」

       ざわめきがホールの中にひろがった。

       審判がクロスティーンに白い封筒を手渡した。 中の紙には「ただちに出頭せよ」とだけ書かれていた。

       審判席に立っている例の男は、高飛車な目つきでクロスティーンを睨んでいる。

       が、クロスティーンはゲームを続けてもいい、と審判に手を振った。 そして対戦相手に目を向ける。

       マハロフはしばらく盤面を見つめていたが、ちょっと頭を下げて投了を示した。

       ホールの群衆はクロスティーンに拍手を浴びせながら立ち上がる。

       クロスティーンも立ち上がるとマハロフに、次に審判に頭を下げた。 そしてそそくさと例の男と会場を後にした。

       

       彼は不安にさいなまれていた。 何と言っても彼のした事は命令への不服従なのである。 間違いなく上申されるに違いない。

       クロスティーンはG将軍の部屋に入ると、示されたイスに座った。

       副官がG将軍にメモを渡すと、G将軍の目つきが厳しくなった。

      「どういう事だね? 同志クロスティーン」

       クロスティーンは相手に訴えかける話し方を心得ていた。

      「同志将軍、私は世間に対してはチェスの職業選手なのです」、と、チェスの駒を動かす様に語り出した。 「あの場面で私がゲームを放棄したなら、世間はその手の筋からの命令でしかあり得ない事を悟ってしまったでしょう。 命令違反についてはお詫びしますが、私は国家保安省にとって最善と思われる行動を取ったつもりです」

        G将軍はクロスティーンの弁明を聞くと、副官から渡されたメモにゆっくりとライターの炎を近づけた。

        クロスティーンは灰皿の中で燃えてゆくメモを見つめながら、心の底から安堵した。

      「クレッブ大佐、その写真を彼に見せてやりたまえ」 G将軍は穏やかに言って、2人に説明を始めた。

        また人殺しか、クロスティーンはそう思いながらG将軍の言葉を聞いていた。

      「どうだね、クレッブ大佐。 何か言える事はないかな?」

      「様々な点でストルゼンバーグの場合と似ていますね。 あの場合も単に殺すのでは無く、名声をも破壊する事が目的でした。 思い出して頂けるなら・・・」

       

        クロスティーンは既に聞いていなかった。 そもそもその件の立案も彼が行ったのである。

        彼はクレッブ大佐を見つめた。 そして、スメルシュの作戦課長のイスを手に入れた、この女の醜悪な半生を思い出していた。

      「ありがとう大佐。 君の状況判断はなかなか役に立った。 で、同志クロスティーンはどうかね?」

        クロスティーンの頭の中では、既にアウトラインが組み上がっていた。

      「重要なのはこの男の人格の破壊です。 そして、それが困難なポイントでもあります」、と語り出した。

        派手なスキャンダルを作り出すには、ある程度マスコミ操作ができる場所が良いでしょう。 また、そんな場所に男をおびき寄せるには、かなりの餌さが必要になります。 罠である事がバレない様に、ちょっとした意外性を持たせると良いかもしれません。 イギリス人は意外な課題を出されると、それを挑戦と受け止める傾向がありますから。 こういった相手の心理をくすぐる様な手を編み出す必要があります。

        そして「計画がどの様なものになるにせよ」、と彼は無造作に言った。 「英語を完璧に使える暗殺者と、これが肝心になると思うのですが、美しくて若い1人の娘が必要となるでしょう

      「同志クロスティーン」と、G将軍が口を開いた。 「すみやかにプランを練り上げてくれたまえ」

       

       

      引き続き【ストーリー編・2/6】へどうぞ。

       

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        • 2023.12.18 Monday
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