007おしゃべり箱 コメント御礼(14)

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    「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

     

    007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

     

    コメント御礼(14)

     

    by 紅 真吾

     

    カルマン・フィッシュ殿

      拙著にコメント頂き、ありがとうございます。

      カルマン・フィッシュさんからは『番外編(145)ジョン・ル・カレの映画化作品』について、実に楽しいコメントを頂戴しました。 ありがとうございます。

      また、娘のコメントに丁寧な返信を賜り、感謝申し上げます。

      重ねてお礼申し上げます。

     

      えー、今回はどちらかと言うと、マイナーと思われるジョン・ル・カレ氏の映画化作品についての記事でいたから、興味を示す諸兄は少ないだろう、と思っていました。

      ですから、楽しいコメントを寄せて頂き、嬉しかったです。

     

     映画 『裏切りのサーカス』を期待してご覧になったとの事。

      その結果、“消化不良まちがい無しの1本”であったとの事。

      そんな貴殿の独白を拝読して、思わず笑ってしまいました。 ゴメンナサイ。

      失礼は重々に解っているのですが、でも面白かったんだもん。

     

      フツーのかたがいきなり『裏切りのサーカス』を観たら、消化不良になるのは当然ですョ。

      貴殿が感じられた“戸惑い”は、至極当然だと思います。

      貴殿から頂いたコメントの行間からは、「いったい、この映画はナン何だァ〜」といった悲鳴が聞こえてきそうです。

      申し訳けありませんが、思わず笑ってしまいました。

      戸惑い、悶々とする貴殿の姿が目に浮かぶ様で。 重ねてゴメンナサイ。

     

      すべからく、ジョン・ル・カレの原作を映画化すれば、この様なタッチにならざるを得ないと思います。

      「それじゃチョイとマズイだろう」と、視点を変えて作ったのかナと感じるのが『鏡の国の戦争』『テイラー・オブ・パナマ』『ナイロビの蜂』、ですかネ。

      あくまで、在野の1映画ファンの印象ですが。

     

      小説ですが、実を言うと私が読んだのは4冊だけです。

      中3か高1の頃に「寒い国から帰ってきたスパイ」を読みました。 圧倒されましたね。

      当時は文庫本ではコレ1冊しか出ていなかった様に記憶しています。

      その後程なくして「死者にかかってきた電話」、「高貴なる殺人」が発売された様に思います。

      で、しばらくしてから、「鏡の国の戦争」であった様な記憶です。

      (あくまでもアタシの記憶です。 もう40年も前の事ですから)

      とにかく内容が重厚ですから、それ以後はチョット食指が動きませんでした。

      結婚して3LDKのマンションに引っ越した時、本はだいぶ処分しました。

      ル・カレで残っているのは「寒い国から帰ってきたスパイ」だけです。

     

    *****

     

      高2に進んだ時でした。

      『 番外編(102)「雪景色」』で記したガールフレンドと裏門を出て丘を下りる階段を歩いていた時の事です。 彼女が「あなたは何を信じているの?」 と言ったんです。

      課外活動を終えての事ですから、街はとばりが下り始めてポツポツと灯りが灯り始めていました。

      で、アタシは「寒い国から帰ってきたスパイ」のアレック・リーマスのセリフをもじって、「これから帰りに乗る各駅停車にそのままずっと乗ると、○○に行けるって事を信じてる。 その電車の運転手はサンタクロースじゃ無いって事も信じてるな」と、言いました。

      その時の彼女が困惑した表情を、今でも憶えています。

      彼女の事は「素敵なひとだな」と想っていました。 彼女はアタシの事を、「面白いヒト」と思ってくれていたのでしょう。 そんな、“おつきあい”が始まった頃の事です。

      思春期の男女が、それこそ“おままごと”から始めた様なモンですよね。

      これから、お互いにより解かり合おうとしていた矢先だったにもかかわらず、そんな、はぐらかす様な事を言ってしましました。

      いえ、チャランポランに答えたのではありません。

      高校生ともなれば、否応なしに大人の入り口に立たされています。

      父母の下ですが、現実の「社会」に向き合わされているのでありました。

      これからは、眼下に広がる街に、独りで歩き出さなければならないのです。

      私達がかよっていたのはミッション系の学校でしたが、だからと言って、「神」を信じているワケではありません。

      ヘルマン・ヘッセは著書「車輪の下」の中で、社会に押しつぶされた主人公を書いていました。

      そんなゴトゴトと回る車輪の音が聞こえてくる様な中で、「神」だの何だのを信じるも信じないもありません。

      当時アタシの頭の中では、フレデリック・フランソワ・ショパンの「練習曲集作品10第12番」=通称「革命」が鳴り響いておりました。

      決して彼女をちゃかしたワケでは無く、アのリーマスのセリフは、見事にアタシの心情を表していたのでありました。

     

    *****

     

      アレ、お話しが脱線してしまいました。

      とにかくゥ、アタシが「寒い国から帰ってきたスパイ」を読んだのは、かような記憶から、少なくとも高校1年以前であったのは確かです。

     

      とにかく、“映画化すれば消化不良の作品となるのは免れないだろう”と思うジョン・ル・カレ氏の小説が、ここまで映画化され、いや、映画化され続けている、と云う点がオドロキなのであります。

      そんな視点に立って綴ったのが今回の『番外編(145)ジョン・ル・カレの映画化作品』でありました。

      007ファンであれば、数々の亜流作品が視野に入ましょう。 ジョン・ル・カレの映画化作品も、当然アンテナに引っ掛かってくる事でありましょう。

      で、レンタルして観てはみたが、“消化不良”。 そんな諸兄に向けてのガイド・ブックを試みてみました。

      いかがでしたでしょうか。

      ま、貴殿は「ル・カレ・アレルギー」のご様子でありますが、仮にそんな拒否反応が起きていなければ、コネリー主演の『ロシアハウス』、ブロスナン主演の『テイラー・オブ・パナマ』などは、「観てみようかナ」と感じられる内容でしたでしょうか。

     

      現在、貴殿は充電中との事。

      新たなる飛翔をお祈り申し上げます。

     

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    007おしゃべり箱 掲載一覧[5]

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      007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

        007おしゃべり箱 掲載一覧

      〔5th〕

       
      CONTENTS 5th

                                          by 紅 真吾
       
       『007おしゃべり箱』 ’12年秋から始まり、続々掲載中です。
        このページとは別に『掲載一覧〔1st〕『掲載一覧〔2nd〕
       『掲載一覧〔3rd〕『掲載一覧〔4th〕 があります。 


      ’13.02.08  特別編 シリーズ全作品紹介一覧 (前編)
                   ショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビー、ロジャームーア、編

      ’13.02.15  特別編 シリーズ全作品紹介一覧 (後編)
                   ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナン、ダニエル・クレイグ、編


      ’16.02.26   特別編 007シリーズ原作リスト
      .
      ********************************************************************

       

      ’17.12.29 Vol. 52 原作紹介/薔薇と拳銃

               序文および『薔薇と拳銃/前編』      『薔薇と拳銃/後編』

               『読後焼却すべし/前編』       『読後焼却すべし/後編』 

               『危険/前編』                      『危険/後編』

               『珍魚ヒルデブランド/前編』   『珍魚ヒルデブランド/後編』 

               『ナッソーの夜』および礼文

       

      .
      ’18.02.23   番外編(146) ボンド・ルック in 1965
      .

       

       

       

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      その際はお手数ですが、画面右側のサイドバー上部にある「月別の掲載記事数」の当月ヶ所をクリックして下さい。
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      初回から2013年10月18日までの掲載については

       

      『掲載一覧〔1st〕 ←をクリック
          Vol.1 Vol.12 & 番外編(1)(48)


      2013年10月25日〜’14年11月07日までの掲載については

       

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      Vol.13 Vol.25 & 番外編(49)(91)

       

      2014年11月28日〜’15年12月04日までの掲載については

       

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      Vol.26 Vol.35 & 番外編(92)

       

      2015年12月25日〜’17年12月15日までの掲載については


      『掲載一覧〔4th〕 ←をクリック
          Vol.36Vol.51 & 番外編(130)(144)

       


      があります。ぜひ参照下さい



      月末の金曜日『007おしゃべり箱をお忘れなく
      次回掲載もご期待下さい。

       


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      007おしゃべり箱 番外編(145) 「ジョン・ル・カレの映画化作品」

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        007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

         

        番外編[145

         

        ジョン・ル・カレの映画化作品 

        Introduce fijms which based novel by John Lé Carre

         

        by 紅 真吾

         

          英国の小説家であるジョン・ル・カレ氏の映画化作品については、Vol.33−B『被・触発作品の紹介』の中で触れておりますので、ご記憶ある諸兄もいらっしゃるかと拝察します。

          ジョン・ル・カレ氏は、押しも押されぬスパイ小説の大御所とされておりまして、現在まで23作の長編を発表しています。

          で、その中で映画化されたのが9作あります。

        『寒い国から帰ったスパイ』(The Spy Who Came in from the Cold) 

        『鏡の国の戦争』(The Looking Glass War

        『リトル・ドラマー・ガール』(The Little Drummer Girl

        『ロシア・ハウス』(The Russia House

        『テイラー・オブ・パナマ』(The Tailor of Panama

        『ナイロビの蜂』(The Constant Gardener

        『裏切りのサーカス』(Tinker,Tailor, Soldier, Spy

        『誰よりも狙われた男』(A Most Wanted man

        『われらが背きし者』(Our Kind of Traitor     

          以上の9本です。

          今回はこれら9本の映画化作品を紹介します。

         

          その前に少しですが、ジョン・ル・カレ氏について紹介致しましょう。

          氏の生年は1931年です。 英国南部のドーセットシャー州で生まれました。

          父親の意向もあって、スイスの高校に進みます。 そして、そのままベルン大学でドイツ文学を専攻しています。

          ドイツ語に堪能であった事から、在学中に在ウィーンの英国情報部に招かれて情報部の仕事をした事があるようです。

          その後は英国に戻り、オクスフォードで法律を専攻しました。 卒業後は外務省に入省です。

          1961年から当時の西ドイツの首都であるボンの英国大使館で勤務してます。

          1963年からは同じく西ドイツのハンブルグで領事を務めています。

          そんな外国勤務の傍らで小説を書き始めました。

          そして1963年に発表した3作目の小説「寒い国から帰ってきたスパイ」がベストセラーになって、1965年から本格的に作家活動に入っています。

         

          作品はどれもシリアスです。 ジェームス・ボンドの様な主人公が活躍する冒険小説とは対極に位置しています。

          情報機関が繰り広げる謀略の中で歯車とされ消耗させられていく人間の悲劇、といった内容が、重厚なタッチで描かれています。

          小説はどれもベストセラーの仲間入りをしていますが、だからと言って映画化するには非常に難を感じます。

        「小説はそれなりに面白いがこれを映画化して面白い作品になるか、は、かなり疑問」、と云ったストーリーばかりなのです。

          しかし、そんなシリアスなスパイ小説が9本も映画化されているのです。

          “謀略渦巻く情報戦”が主な舞台ですから、どの作品もストーリーは通り一遍ではありません。

         

        *****

         

         『寒い国から帰ったスパイ』

         『The Spy Who Came in from the Cold』 

         ’65年 112分 (原作の発表は’63年)

         (原作小説のタイトルは「寒い国から帰ってきた

         スパイ」)

         リチャード・バートン、クレア・ブルーム、オス

         カー・ウェルナー、ペーター・ファン・アイク、他

         監督:マーティン・リット

         

         (コノ画像のみ、パンフレットの表紙です)

         

         

         

         

         

         

          ベルリンで任務に失敗したリーマスはロンドンに呼び戻され、ほど無くして情報部を解雇された。

          なんとか図書館での仕事にありついたが、自堕落な生活を送る様になり、食料品店の店長を殴りつけて刑務所行きとなった。

          出所したリーマスに、生活支援を行う男が近づいてくる。

          リーマスには、その男は東側の人間だと判っていた。

          リーマスは情報提供を条件にして、男と共にイギリスから出国します。

          中盤まではこんな展開です。

          小説と共に映画も名作と呼ばれています。 私もその様に感じました。

          ベース(原作小説)も秀逸ですが、やはり、リチャード・バートン氏を主演に迎える事が出来たのが、名作と呼ばれるに足る作品に成り得たのではないか、と感じます。

          が、1回観ただけでは消化不良かもしれません。

        ☆★★★

         

         

         『鏡の国の戦争』

         『The Looking Glass War』

         ’68年 103分 (原作の発表は’65年)

         クリストファー・ジョーンズ、ピア・テゲルマルク、 アンソニー・ホプキンス、ラルフ・リチャードソン、他

         監督:フランク・ピアソン

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          イギリスの軍情報部は、東ドイツで新型弾道ミサイルの配備が進んでいるらしいとの情報をキャッチした。 情報部は、妊娠した恋人に逢う為に密入国してきたポーランド人のライザーをスパイに仕立て上げ、東ドイツの国境を越えさせた。

          国境警備兵を殺害したライザーは目的地のカルクシュタットを目指すが、途中で知り合ったトラックの運転手にスパイである事を見破られ、彼を刺殺してしまう。

          奪ったトラックでカルクシュタットへ向かう途中、ライザーは1人の娘と出会う

          中盤まではこんな感じです。

          映画は小説ほどエスピオナージュの世界に踏み込んだ内容では無く、出来の悪い青春映画の様になってしまっています。

          ル・カレ・タッチからは少々外れてしまった、と言えましょうか。

        ☆☆☆☆

         

         

         『リトル・ドラマー・ガール』

         『The Little Drummer Girl』

         ’84年 130分 (原作の発表は’84年)

         ダイアン・キートン、ヨルゴ・ヴォヤキス、クラウス・キンスキー、他

         監督:ジョージ・ロイ・ヒル

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          ヨーロッパ各地で、ユダヤ人を狙った爆弾テロが頻発した。

          パレスチナ・ゲリラのリーダーは巧緻にたけた用心深い男で、正体も居場所も掴めていない。

          そんな強敵を倒す為、イスラエル軍情報部は熱烈なシオニスト(ユダヤ人やイスラエル国家の方針に賛同する人達)である英国人女優=チャーリーをスカウトする。

          ゲリラのリーダーにはボンクラな弟が居た。 情報部は弟を拉致し、弟がチャーリーを愛しているとしった手紙を偽造すると、弟を殺害してしまいます。

          弟の死を知ったリーダーは、その恋人のチャーリーを呼び寄せる・・・。

          といった展開でした。

          “偽りを真実にすり替えて、謀略の世界に身を投じる女優”といった主人公を、ダイアン・キートンさんが好演してました。

        ☆★★★

         

         

         『ロシア・ハウス』

         『The Russia House』

         ’90年 123分 (原作の発表は’89年)

         ショーン・コネリー、ミッシェル・ファイファー、ロイ・シャイダー、クラウス・マリア・ブレンダウアー、他

         監督:フレッド・スケビシ

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          ペレストロイカ(’85年にソ連の共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフ氏が、硬直した政治体制を立て直す目的で提唱した、再構築を意味する政治活動)が進むモスクワで、イギリス・オーディオ・フェアが開催されていた。 そこで1人のセールスマンがロシア女性=カーチャから3冊のノートを渡され、出版社社長のバーリーへ渡してくれと頼まれた。 ノートにはソ連の核兵器システムの欠陥が詳細に記されてあった。

          ロンドンへ戻った男はバーリーを探すが、行方が分からなかったのでノートを英国情報部へ持ち込んだ。

          情報部はポルトガルに居たバーリーを探し出し、事の真偽を尋問する。

          バーリーはかつてソ連の作家村で出会ったダンテと名乗る男を思い出していた。

          情報部によって状況の確認を強要されたバーリーはモスクワへ行き、カーチャと接触する。

          と、こんな滑り出しです。

          観終わった後、消化不良にはならないと思います。 たぶんですけど。

          ル・カレ映画としては、バランス良く仕上がっていると思います。

        ☆☆★★

         

         

         『テイラー・オブ・パナマ』

         『The Tailor of Panama』

         ’01年 109分 (原作の発表は’97年)

         (原作小説のタイトルは「パナマの仕立屋」)

         ピアース・ブロスナン、ジェフリー・ラッシュ、ジェイミー・リー・カーチス、他

         監督:ジョン・プアマン

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          英国情報部員のアンディは女とギャンブルがたたって、中米のパナマへ左遷されてきた。

          アンディの任務は、合衆国からパナマ運河の所有権を返還された後の政情を探る事だった。

          早速アンディは政府要人御用達のスーツの仕立て屋(テイラー)のハリーに目を付ける。 そしてハリーの身辺を調べ上げ、弱みを握ると、要人の会話を探るよう強要する。

          と、こんな滑り出しです。

          左遷された地で一儲けたくらむアンディと、ある事ない事話をでっち上げて金をせびるハリーによって、お話しがどんどんエスカレートしていく、といった展開です。

          ブロスナン氏の、絵に描いた様なヒール役が印象に残ります。

        ☆☆☆☆

         

         

         『ナイロビの蜂』

         『The Constant Gardener』

         ’05年 128分 (原作の発表は’01年)

         レイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ、ダニー・ヒューストン、他

         監督:フェルナンド・メイレス

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          ケニヤのナイロビに駐在している、ガーデニングが趣味の物静かな外交官=ジャスティンの妻は、スラムの医療施設を改善するNGOに取り組んでいた。

          ある日突然、その妻が湖の畔で殺害される。

          真相を追うジャスティンの前に、大手製薬会社の陰謀が浮かび上がってくる、といった内容です。

          チラシの謳い文句は「地の果てで、やっと君に帰る」、「きっかけは妻の死、たどり着いたのは妻の愛」 です。 とにかくそんな映画です。

        ☆☆☆☆

         

         

         『裏切のサーカス』

         『Tinker,Tailor, Soldier, Spy』

         ’11年 128分 (原作の発表は’74年)

         (原作小説のタイトルは「ティンカー・テイラー・ソ ルジャー・スパイ」)

         ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、トム・ ハーディ、マーク・ストロング、他

         監督:トーマス・アルフレッドソン

         ※英国情報部は一昔前までケンブリッジ・サーカ スにありました。 だもんで、「サーカス」と呼ばれ たりします。 米国のCIAがバージニア州のラングレーにある事から「ラングレー」と呼ばれるのと同じですね。

        我が国の場合では、「桜田門」=「警視庁」、といったトコロでしょうか。

         

         

           英国情報部の長官であるコントロールは、作戦の失敗などから内部にソ連の二重スパイ「もぐら」が潜んでいる事を確信した。 が、コントロールは続く作戦の失敗の為に、彼の右腕のジョージ・スマイリーと共に引退を余儀なくされた。 そしてコントロールは死去してしまう。

          その後、ある事件をきっかけに、スマイリーは外務省から「もぐら」のあぶり出しを要請される。 「もぐら」と目されているのは情報部の幹部の4人。

          それぞれコントロールによって「ティンカー(鋳掛屋)」、「テイラー(仕立て屋)」、「ソルジャー(兵士)」、「プアマン(貧乏人)」と名付けられていた。

          また、スマイリーも「ベガマン(乞食)」として疑われていた。

          といった滑り出し。 これでもかなり端折ってますけど。

          「展開、伏線、結末−観賞は頭脳戦になる」 と、DVDのパッケージにあります。

          謳い文句通り、消化不良まちがい無しの1本です。

          が、この作品の英国での評判は、かなり高かった様です。

        ★★★★

         

         

         『誰よりも狙われた男』

         『A Most Wanted man』

         ’14年 122分

         (原作の発表は’08年)

         フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・マクアダムス、ウィレム・デフォー、他

         監督:アルトン・コルベイン

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

          ドイツの港湾都市ハンブルグでテロ対策チームを率いるバッハマンは、密入国した1人の青年に目を付けた。 彼はイスラム過激派として国際指名手配されていたのだ。

          青年は人権擁護団体の女性弁護士と知り合い、ある銀行家と接触した。

          彼の目的は、その銀行に父親が設けた秘密口座にある様だ。

          バッハマンはあえて彼を泳がせて、テロリストに資金提供を行う更なる大物にターゲットを向ける。

          とまあ、こんな展開です。

          チラシの裏には、「疑惑、利用、そして真実を欺く」 と、ありました。

          ル・カレ・ワールドに生きる男を、フィリップ・シーモア・ホフマン氏が好演してました。

        ☆☆☆★

         

         

         『われらが背きし者』

         『Our Kind of Traitor』

         ’16年 107分

         (原作の発表は’10年)

         ユアン・マクレガー、ステラン・スカルズガルド、ダミアン・ルイス、ナオミ・ハリス、マーク・ゲイティス、他

         監督:スザンナ・ホワイト

         

         

         

         

         

         

         

         

          モロッコで休暇中の英国人大学教授ペリーとその妻ゲイルは、偶然知り合ったロシア・マフィアの男から、組織のマネー・ロンダリングの情報が入ったUSBメモリーを英国情報部に渡して欲しい、と懇願される。

          突然の依頼に戸惑う2人だったが、男の家族の命が狙われていると知り、仕方なく引き受ける事に。

          だがその日を境に2人は世界を股に掛ける危険な亡命劇に巻き込まれてゆくのだった・・・。

          以上はチラシ裏面、Wikipedia、MovieWalkerで紹介されていた文です。 (みんな同じでした)

          ル・カレ・ワールドをベースにした娯楽作品として、良くまとめられた1本です。

        ☆☆☆★

         

        *****

         

          紹介文の後ろに付けた星印は、「良かった」とか「面白かった」とかの度合いを示すものではありません。 そんなのは主観的なものですから。

          この星印は観終わった後の「消化不良度」を表しています。 とは言っても、それも私の主観ですけど。

          前述した通り、ル・カレ・ワールドとは謀略が渦巻く世界です。

          小説はそんな世界をじっくりと書き込んでいるわけですが、その内容をそのまま2時間程度の映画にまとめるなど、到底無理。

          すなわち、どこまで端折ってル・カレ・タッチを残すか、が映画化に際してのポイントとなりましょう。

          脚本、監督の腕の見せ所と言えます。

          とは言っても元がモトだけに、人によっては「いったい何がどうなって、だからどうしたんだ?」と感じる諸兄も少なく無いでしょう。

          要するに「消化不良」。

          紹介文の後ろに記した星印は、そんな「消化不良度」を示しております。

          007シリーズとは全く異なり、エスピオナージュの世界をシリアスに描いたジョン・ル・カレ氏の映画化作品は、ぜひおススメです。

          が、観賞の際は、星印が多く付いている作品ほど、予めMovieWalkerで大まかなストーリーを把握されておく事をおススメします。 (それでも消化不良になると思いますけど)

         

          私のお勧めは、もちろん星印4つの『裏切りのサーカス』

          まさにル・カレ・タッチ全開と言える作品です。

          で、ありますから、ル・カレ氏の作風を良くご存知のかたにお勧め出来るわけでありまして、一般のかたがいきなりこれを観たら「ワケわからん」が正直な感想となろうかと思います。

          その点『誰よりも狙われた男』は、ル・カレ入門としてはおススメです。 後味は悪いですが、ル・カレ・タッチが良く表れていました。 そもそもジョン・ル・カレ氏が描くのは謀略の渦巻く世界でして、単純なハッピーエンドはありません。

          それにしても昨今の映画で、これほどスパスパとタバコを吸うシーンが多くあるのは稀有であると思います。 禁煙中の諸兄はご覧にならない方がよろしいかと。

          また、『ロシア・ハウス』は悲劇的な結末ではありませんで、この点は入門編としておススメです。

          とにかく、こーなってくるとノートの真贋はどーでもイイんです。 コノ内容が明るみに出てしまうと両者が困る。

          そんなドつぼにはまってしまったバーリーとカーチャの戦い、といったテイストでしょうか。

         「何がどうなったのかよく解らないが、とにかくそーいった映画か」と感じて(誤魔化されて)頂けるのではないかと思います。

          また、『われらが背きし者』も無難に楽しめる作品だと思います。 ル・カレ・ワールドを期待しなければ、ですけど。

          星が無印の『テイラー・オブ・パナマ』はスンナリ観れます。 ストーリーは紹介文で記した通りです。 ジョン・ル・カレ氏の原作と意識せずに十分楽しめる作品です。

          が、同じ無印でも『ナイロビの蜂』は、あまりおススメ出来ません。

          内容が重い上に、後味も悪いです。

          ガーデニングが趣味の普通の男が、妻が殺害された事で妻が辿った道を自ら辿ってゆく夫婦愛、といったテイストでまとめられていました。 この点、ル・カレ・タッチが抑えられた作品と言えましょう。

          妻役のレイチェル・ワイズさんは妊娠中との設定で、まあるいお腹のチラ・ショットがありました。 また、現M役のレイフ・ファインズ氏が若い二枚目役で出演です。 興味のあるかたはどうぞ。

          同じ無印の『鏡の国の戦争』は全くおススメできません。

          ル・カレ氏の映画化作品としては、あまりに中途半端な出来だと思います。

          が、その反面、「国家間の謀略に巻き込まれた若者の青春像を描いた」といったタッチを感じます。

          そんな視点に立てば、この作品はそれなりに評価出来るかもしれません。

          全編に流れる物悲しいテーマ音楽(トランペットの音色)は、特に記憶に残ります。

          『寒い国から帰ったスパイ』『リトル・ドラマー・ガール』は、DVD、ブルーレイ、ともに発売されておりません。 読者諸兄が観賞出来るチャンスは低いと思われます。

          特に『寒い国から帰ったスパイ』は、今やスパイ映画の名作とされております。

          ま、名作かどうかは別としても、ショットの1つ1つが丁寧に撮られていると感じます。 また、リチャード・バートン氏の演技も相まって、なかなかの秀作であると思います。 ご覧になれるチャンスが低いのが、残念でなりません。

         

          読者諸兄よ、ぜひジョン・ル・カレ氏の映画化作品もご覧になってみて下さい。

         

         

        追記

          全くおススメできない、と記した『鏡の国の戦争』ですが、今回の原稿を脱稿した際、ル・カレ作品の余韻を味わうべく1本選んで観てしまったのは、この作品でした。

         

        追記 2

          ル・カレ氏が世に出た作品とされるのが3作目の小説「寒い国から帰ってきたスパイ」(The Spy Who Came in from the Coldですが、実は1作目「死者にかかってきた電話」(Call from Dead)、2作目「高貴なる殺人」(A Murder of Quaity)から続くお話しなんです。

          「寒い国から〜」をお読みになった諸兄におかれましては、ぜひ、「死者に〜」や「高貴なる〜」もお読み下さる事をおススメ致します。 さすれば、ル・カレ・ワールドをドップリとお楽しみ頂けるでありましょう。

         

         

        『007おしゃべり箱』 will return

         

        月末の金曜日は『007おしゃべり箱の日です。

        お忘れなく

         

         

        『掲載一覧〔1st〕 『掲載一覧〔2nd〕 『掲載一覧〔3rd〕

        『掲載一覧〔4th〕 『掲載一覧〔5th〕   

        があります。ぜひご覧ください。

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         ボンドガールについても数々の掲載があります。 先ずはボンドガール人気癸韻ダニエラ・ビアンキさんにスルドク切り込んだ、
        番外編(47)「ボンドガール/マドンナに等しかったと思うひと
        またジーン・セイモアさんについての
        番外編(56)「ボンドガール/清純なイメージだったと思うひと
        若林映子さんについての
        番外編(80)「ボンドガール/無念を思うひと」をどうぞ。
        & ちょっとエッチな話題として
        Vol.47 『ビキニ 2』  など何本かの掲載があります。
        007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007

         

        007おしゃべり箱 コメント御礼(13)

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          「007おしゃべり箱」は映画00シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

           

          007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

           

          コメント御礼(13)

           

          by 紅 真吾

           

          カルマン・フィッシュ殿

            拙著にコメント頂き、ありがとうございます。 

          カルマン・フィッシュさんからは、『原作紹介/薔薇と拳銃』についてコメントを頂戴しました。それも、短編の1編ごとにです。

          ありがとうございます。

           

            実は、今回の短編集はあまりにも気乗りしませんで、2週間ほど手つかずでした。

            これはイカン、と気を取り直しての心機一転、最も気乗りしない作品から取り掛かりました。

            テキの最強部隊を最初に撃破してしまえば、その後の戦闘は容易になるだろう、といった目論見です。

            で、最初に選んだのは「ナッソーの夜」。 このお話しはある1組の若夫婦の破局を綴ったものでして、ジェームス・ボンドのお話しではありません。

            拙著ではかなりのダイジェスト版としましたが、かえってそれが、提督の語る“慰謝の量の法則”の部分を際立たせた様に思います。

            既婚者としては、チョッと身に応える部分でありました。

            ラストで提督が言った「今夜は2人とも楽しそうだったと思うよ」のセリフの前後は、勝手に文章を作って加えちゃいました。

            この箇所は、もうちょっとインパクトが欲しいなぁ、と思ったので。

           

            2番目にとりかかったのは、「読後焼却すべし」です。

            1番まともに感じる1編をやっつけて勢いを付けよう、です。

            ストーリーの紹介と言いつつも、Мが苦悩する様は省略してはイカン、と思いました。

            ボンドもМの前では威勢のイイ事を言ってましたが、やはり割り切れない任務だと感じています。 このアタリを省略する事なく盛り込みましたので、ダイジェスト版とはいえお話しに厚みを感じて頂けたのでは、と思っています。

           

            3番目に選んだのは、“乗り気のしない”ワースト2の「薔薇と拳銃」です。

            冒頭、ボンドが(と言うよりフレミング氏が)当時のパリの印象を、あれこれと綴っております。 観光紹介的な内容でも無く、ストーリーとは関係無い箇所でしたので、まるまる省略しました。

            とは言っても、こンなトコロも“フレミング・カラー”の1つですので、原作小説をお読みになる際は、気にしてみて下さい。

            ボンドが敵の秘密基地を発見した後は、意識的にテンポを上げました。

            だもんで、ラストでメアリー嬢が登場するシーンがヤマ場となって際立ったのではないか、と思っています。

           

            4番目に選んだのが「危険」。

            実は原作では、クリスタトスの「こういう話しはたいへん危険が多くてね」のセリフから始まるンです。 拙著ではダイジェスト版である事を踏まえて、お話しの流れ通りに段落を組み替えちゃいました。 

            また、ボンドがタクシーでリスル嬢を送っていった次の段落では、ボンドがローマからベニスに移動する列車の事や、ベニスの街を散策する様子などが約2ページに渡って綴られておりましたが、まるまる省略しました。 お話しのテンポがダレてしまう様に感じたので。

            原作をお読みになる際は、この点ご留意くださいませ。

           

            最後に臨んだのが、「どーでもイイだろ、こんな話し」と思っていた「珍魚ヒルデブランド」です。

            どうといったお話しでは無いのでテキトーに済ませてしまおう、と思っていました。

            しかし、費やした文字数は5編のなかで1番多くなってしまいました。

            やはりここは、ミルトン・クレストがなんて嫌らしい奴か、をその挙動言動を通して読者に伝えなくては、お話しが盛り上がりません。

            メンドクサイなーと思いつつ書き込みましたので、当然のごとく長くなってしまったのでありました。

            そう、ホントにクレストってイヤなヤツなんです。

            この点、カルマン・フィッシュさんより、「ボンドの癇癪玉の破裂より、自分の血圧の上昇の方が気になった」と、非常に嬉しい感想を寄せて頂きました。

            あー、ガンバッて良かったァ。

            それにしてもこのお話しのラストは、チョッと歯切れが悪かったです。

            翻訳の井上一夫氏も手を焼いた様子が感じられます。

            だもんで拙著では、お話しの流れとフレミング氏の意向を汲んでまるめ直しちゃいました。

            原作をお読みになる際はご留意ください。

           

            とにかく、この『原作紹介/〜』は重労働です。 毎回書き上げるごとに、「もーイヤ。 ヤめたい・・・」と思ってしまいます。

            そんな中、カルマン・フィッシュさんから、「メンドクサイなー」と思いながら書き込んだ箇所を楽しんで頂けた様子をコメント頂くと、欣喜雀躍としてしまいます。

            ありがとうございます。

           

            ところで、「ナッソーの夜」でローダがカナダの億万長者と出会ったホテルの名前を憶えていらっやいますか。

            そう、ジャマイカに移ったバーフォード総督夫人が受付嬢の紹介をしてくれた、ブルー・ヒルズ・ホテルです。

            でもって別のお話しの中で、ブルー・ハーバー・ホテルってのが出てきます。 それは、「読後焼却すべし」の冒頭部分。

            ジャマイカで荘園を構えるハヴロック大佐が、新聞を置いて語るセリフの中です。 「〜化け物屋敷みたいなブルー・ハーバー・ホテルも、ひょっこり誰かがやって来て買っちまったそうだし、〜」でした。

            もちろん“ヒルズ”と“ハーバー”と違いますから、「だから何だ」と言われると窮してしまいます。 が、この様なチョッとトリビア風の箇所も見逃さずに汲み上げねば、と意識しながら熟読して書いてますので、ホント疲れるのですわ。

           

            次回の『原作紹介/サンダーボール作戦』は、5月末の発表を予定しています。 ご期待下さい。

            カルマン・フィッシュ殿のご健勝とますますのご活躍をお祈り申し上げます。

            加えて、今後とも拙著『007おしゃべり箱』に変わらぬご贔屓を賜ります様、お願い申し上げます。

           

             序文および『薔薇と拳銃/前編』         『薔薇と拳銃/後編』

             『読後焼却すべし/前編』          『読後焼却すべし/後編』 

             『危険/前編』                         『危険/後編』

             『珍魚ヒルデブランド/前編』      『珍魚ヒルデブランド/後編』 

             『ナッソーの夜』および礼文

              【 解説編 】   

           

           

           

          『007おしゃべり箱』 will return

           

           

          『掲載一覧〔1st〕 『掲載一覧〔2nd〕 『掲載一覧〔3rd〕 『掲載一覧〔4th〕

          があります。ぜひご覧ください。

           

          007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007007

           


          007おしゃべり箱 Vol.52A−1 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「薔薇と拳銃」ストーリー編/前編』

          0

            「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

             

             

            007おしゃべり箱 Talking BOX of 007

             

            Vol.52A

             

            『原作紹介/薔薇と拳銃』

             

            Ian Fleming’s FOR YOUR EYES ONLY

             

            by 紅 真吾

             

             原作の短編小説である『薔と拳銃』(1960年)の紹介です。

             収録作品は

            『薔薇と拳銃』 From a View To a Kill

            『読後焼却すべし』 For Your Eyes Only

            『危険』 Risico

            『珍魚ヒルデブランド』 The Hildebrand Rarity

            『ナッソーの夜』 Quantum of Solace

             の5作です。

             特別編(3)『原作リスト』で記した通り、「読んでいない人も、読んだ気になれる」、「読んだのははるか昔で内容を忘れてしまった人も、記憶が甦る」、を目指して、あらすじを詳しく踏み込んでいきます。

             今回は、

               序文および『薔薇と拳銃/前編』         『薔薇と拳銃/後編』

               『読後焼却すべし/前編』          『読後焼却すべし/後編』 

               『危険/前編』                         『危険/後編』

               『珍魚ヒルデブランド/前編』      『珍魚ヒルデブランド/後編』 

               『ナッソーの夜』および礼文

                【 解説編 】    

             といった構成でお届け致します。

             

            *****

             

            「薔薇と拳銃/前編」

             

            From a View to a Kill First Part

             

              5月の朝の7時過ぎ、ベルサイユとサン・ジェルマンを結ぶD98道路を、英国通信隊の伝書吏のオートバイが走っていた。

              オリーブ色のBSAM20で、正規のイギリス陸軍のオートバイとそっくりだったが、燃料タンクの上にルーガー拳銃がクリップで取り付けられていた。

              半マイルばかり先にはこの伝書吏とそっくり同じ姿の、もう1人のオートバイ伝書吏が走っていた。 前を走る伝書吏は年も若く小柄で、のんびりとオートバイに跨って時速40マイルぐらいで朝の空気を楽しんでいた。

              2台の間隔が100ヤード程に縮まると、後ろの伝書吏は速度を落とした。 そして右の手袋を口に咥えて外すと、タンクの上の拳銃を手にした。

              その頃には前の伝書吏も、バックミラーに写った後ろのオートバイに気が付いていた。 朝のこんな時間に他の伝書吏が走っているのにびっくりする。 しかも、自分と同じ英国通信隊の制服だ。

              いったい誰だろう?

              アルバートか? シュミットか? いや、あのがっしりした体格はウォーリーだろう。

              右手の親指を上げて合図を送ると、速度を30に落として追いついて来るのを待った。

              後ろの男は、さらに速度を落とした。

              風によるゆがみが無くなった男の顔は、ごつくて凄みのあるスラヴ系らしい顔立ちになった。

              2台の距離が20ヤード程に縮まった時、後ろの伝書吏は両手をハンドルから離してルーガーを慎重に構えると、1発撃った。

              若い男の両手がハンドルから離れて後ろにのけぞる。 オートバイは道路を斜めに横切って、崖下の雑草の茂みに突っ込んでいった。

              殺し屋は小さくUターンすると、道端にオートバイを停めた。 スタンドを立てると茂みの中に分け入っていく。

              死んだ男の傍に跪くと、黒革の伝書カバンを死体から引きはがした。 次に、上着を開いて財布を抜き取る。 腕時計もむしり取った。

              殺し屋は立ち上がると、伝書カバンを肩に掛けた。 財布と腕時計をポケットに突っ込みながら、じっと耳をすました。

              森の音とオートバイのエンジンが冷えていくカタカタいう音だけ。

              男はゆっくりと歩き回って、オートバイが突っ込んだ跡を隠して回った。

              悪くない。 警察犬でも使わなければ見つかるまい。 10マイルの道を調べるには、何日もかかるだろう。 それだけの時間があれば十分だ。

              男はオートバイに跨ると、タイヤの跡を残さない様に、ゆっくりと走り出した。

             

              ボンドはパリに来た時は、いつも北駅のステーションホテルに泊まる事にしていた。

              ボンドは駅のホテルが好きだったし、ここは見栄を張らない地味な佇まいが気に入っていたのだった。

              夕食はヴェフールとかルーカス・カントンとか、コション・ドールといった大きなレストランへ行くのが常だった。 こういった店はミシュランのガイドブックに載っている様な店と違って、米ドルをあてにしていない様に感じていたし、何より、ボンドはそっちの料理が好みに合っていた。

              今、ボンドは任務に失敗してパリ経由でロンドンへ帰る途中だった。

              今回の任務は、あるハンガリー人の救出だった。 ボンドは作戦の指揮を執る為にオーストリアに入ったのだが、ウィーン支局の連中はそれが面白く無かった様だ。

              いろいろと意地の悪い誤解みたいなのがあって、肝心の男は国境の地雷原で死んでしまった。

              帰ったら、当然査問と云う事になるだろう。

              ボンドは明日の本部での報告を思うと、すっかり意気消沈してしまっていた。

              その日の夕方、ボンドは今日初めての酒を飲もうと、フーケのカフェテラスに腰を下した。 やってきたウェイターにアメリカーノを注文する。

              ボンドはイスに座り直して通りを眺めた。

              綺麗なパリジェンヌを見つけて食事に出かける事が出来たらいい気晴らしになるなあ、などと考える。 “花のパリ”のロマンスの始まりだ。 夜がふけてからは“パリの楽しみ”だ。 しかし、そんな都合の良い話しなどある訳が無い。 ボンドはそんな自分の妄想に呆れてしまった。

              ボンドはウェイターが置いていった盆からグラスを取ると、氷を入れて炭酸をたっぷりと注ぐ。 大きくひと口飲むと、ローランの黄色葉のタバコに火を点けた。

              その時、通りを走っていた傷だらけの黒いプジョー403が道の端に寄るのが目に入った。

              辺りをはばかる事無く、二重駐車をして停ってしまう。 当然の様に、急停車のブレーキの音と共にクラクションや怒鳴り声が通りに響き渡たった。

              プジョーから降り立ったのは、背の高い金髪の娘だった。 娘は周りの騒動などおかまいなしに、つかつかと歩道をカフェテラスに向かって歩いて来る。

              ボンドは思わずグラスを置いて、娘を見つめてしまった。

              さっきまで妄想していた可愛い恋人が、そのまま現れたのだ。 陽気で大胆奔放な背の高い美人。 ただ、イライラした様に口元をへの字にゆがめて、辺りをキョロキョロしている。

              ボンドはその娘がカフェテラスのテーブルの間を歩いてくるのを、しげしげと見つめた。

              この娘はきっと恋人との待ち合わせで来たのだろう。 デートに遅れたので、あんなに慌てているに違いない。

              ボンドがそう思った瞬間、粋なベレー帽の下の目が、真っ直ぐにボンドを見つめた。 しかも、にっこりとほほ笑んだのだ。

              娘は驚くボンドを見つめながら、ボンドのテーブルまで歩いて来た。 そしてイスを引いて腰を下す。 娘はボンドが驚きから立ち直る間も無く、神妙な笑顔を見せた。

            「ごめんなさい、遅くなって。 でも、直ぐに出掛けなきゃならないのよ。 事務所であなたを呼んでるわ」 周りの客に聞こえよがしに、そう言った。 そして身をかがめると「急潜水」と呟いた。

              ボンドはいきなり現実に引き戻された。 この娘が誰だか知らないが、情報部の人間に間違い無い。 “急潜水”とは情報部の俗語で、悪い知らせを意味しているのだ。

              ボンドは立ち上がると、小銭を伝票の上に置いた。 「よし、行こう」 そう言って彼女のクルマに向かった。

              クルマは駐車線の外側で他のクルマの通行を邪魔していた。 後ろにつかえたクルマからは、凄い剣幕の顔が2つボンド達を睨んでいる。

              娘はギアを入れると、通りを走り出した。

              ボンドは横目で娘を眺めた。 ビロードの様な白い肌をしている。 金髪は絹糸の様だ。

            「どこから来たんだい? 何が起きたんだね?」

            「支局からですわ。 勤務中は765号、非番の時はメアリー・アン・ラッセルです。 何があったかは知りません。 ただMから支局の主任宛てに、直ぐにあなたを探し出せ、と緊急電報が入ったんです。 主任は、あなたがパリに来た時の行先は決まっている、と言って、私ともう1人の女の子にリストを渡したんです。 

              最初はハリーのバーに行って、フーケは2番目でした。 こんなに上手い具合に見つけ出せるなんて、思っていませんでしたわ」

            「そいつは運が良かったね。 だけど、もし私に女の連れが居たらどうするつもりだった?」

              娘は笑った。

            「同じ事でしょうね。 ただ、もっと丁寧な言葉遣いをしたと思います。 心配なのは、あなたがどうやってその女を追っ払うか、です。 もし女が騒ぐ様であれば、私が女を家まで送って行って、あなたにはタクシーを呼びます」

            「なかなか気が利くね。 君は情報部に入って長いの?」

            「5年になります。 支局勤めは初めてです」

            「仕事は気に入ってるかい?」

            「ええ。 でも非番の日などがちょっと退屈ですけど。 他には、地下鉄やバスに乗るのが嫌になりましたわ。 いつ乗ってもお尻に痣を付けられてしまうんです。 だからこのボロのクルマを安く買って乗り回してるんです。 このクルマだと、他のクルマが避けてくれるんですよ」

              メアリーはそう言うや否や、乱暴なカーブを切ってコンコルド広場から出て来るクルマの列の中に割り込んだ。 まるで奇蹟だった。 さっとクルマが分かれてマティニョン街まで道が開けてしまった。

            「おみごと」 ボンドは言った。 「しかし、フランス娘にもご同様の気の強いメアリー・アンが居るかもしれないぜ。 気を付けた方がいいよ」

              メアリーは笑った。 

              彼女の運転するクルマはガブリエル通りに入って、秘密情報部のパリ支局の前に停まった。

            「この手を使うのは仕事の時だけですわ」

              ボンドはクルマを下りると、ぐるっと回って運転席の外に立った。

            「どうもありがとう。 今度の仕事が片付いたらお礼がしたいな。 晩飯を一緒にどうだい? こっちも退屈はご同様なんでね」

            「うれしいですわ」 彼女の青い瞳がボンドを見つめた。 「交換台に言えば私の居る場所は直ぐに分かりますから」

              ボンドはハンドルに掛けたメアリーの手に触れて、「それじゃ」 と言うと、足早に建物の中に入っていった。

             

              F支局の主任は、元空軍中佐のラットレーと云う男だった。 金髪を後ろにかき上げて、小太りな体を身だしなみの良いスーツに包んでいる。

              部屋にはゴロワースのタバコの匂いがこもっていた。

              ボンドを見ると、ほっとした様に「誰がみつけた?」と言った。

            「メアリー・アン・ラッセルだ。 フーケでね。 あの子はまだ新しい様だね」

            「ここに来て半年になるな。 いい子だよ。 とにかく腰かけてくれ。 厭な仕事が舞い込んで来た。 これから説明するよ」

              ラットレーはそう言うと、インターホンのスイッチを入れた。 「Мに電報だ。 007を見つけて打ち合わせ中、いいな」

              ボンドはイスを引っぱってゴロワースの煙から逃げる様に窓際に腰を下した。 シャンゼリゼの喧騒が風に乗って聞こえてくる。

              ほんの30分前には、ボンドはパリに飽きていたのが、今ではパリに長居したくなってきていた。

              ラットレーがデスクの向こうから語り始めた。

            「昨日の朝、NATO司令部からサン・ジェルマンにある英軍基地へ向かった伝書吏が殺された。 極秘情報が入った伝書カバンと財布と腕時計が奪われてる」

            「財布と時計は、ありきたりの強盗と見せかけるためだと考えられるんだね?」

            「総司令部の保安部では、強盗ではあるまい、と踏んでいるがね。 とにかくМは、君を自分の代理として総司令部に乗り込ませろ、と言って来たんだよ。

              実は何年も前から総司令部の情報関係の連中は、こっちが別の基地を持ってるのをやっかんでいてね、サン・ジェルマンの英軍本部を総司令部の情報組織に組み入れようとしてきているんだ。 Мが心配しているのは、奪われた機密書類もさる事ながら、今度の事件によって、総司令部に首根っこを押さえつけられてしまう事なんだよ。 Мが頑固なのは解っているだろ?」

              ボンドは思わず苦笑いを浮かべた。

            「とにかく」 とラットレーはデスクの上に両手をついた。 「書類は全て揃えてあるよ。 君は総司令部の保安部長のシュライバー大佐へ会いに行く事になっている。 アメリカ人で切れ者だよ。 私の見たところ、打つべき手は既に充分打ってるね」

            「それじゃМは私に何をしろって言うんだろう? 保安部に、もっとよく調べろ、とねじ込むのか? この仕事はお門違いだよ。 私なんかが出る幕じゃ無い」

              ラットレーは同情する様に苦笑した。

            「そんな事は既にМに話したよ。 だけど親父さんの気持ちも解ってあげろよ。 それに、連中に対して、こっちも真剣なんだぞ、といった姿勢を見せつけてやらねばね。 たまたま君がパリに居合わせたから、君に白羽の矢が立っただけさ。 それに親父さんは、君だったら表面では見えない何かを掴めるかもしれん、と言っていたよ」

            「それは、どういう意味なのかな?」

            「私もそれを聞き返したんだ。 そしたら、どんなに警戒厳重な司令部でも、透明人間みたいなのが居るもんだ、と言うんだ。 掃除夫とか郵便配達とか、つまり誰もがそこに居るのが当たり前だと思って、別に気に留めない人間が居るはずだ、と言うんだよ」

              ボンドは思わず考え込んでしまった。 ラットレーが語ってくれた事で、あらましは解かった。 が、9 階の例のオフィスでМから容赦ない視線をあびて命ぜられたのでは無いので、つい戸惑ってしまう。

            「とにかく、Мの命令じゃしょうがないな。 どこまで出来るか解らないが当たってみるしかなさそうだね。 で、報告はどこにすればいいんだい?」

            「ここだよ、私にしてくれ。 Мはこの件で、サン・ジェルマン基地を巻き込みたく無いんだ。 君の報告はそのままロンドンへ送るよ。 私が留守の時にも連絡が付く様に、誰かを君の係りにしとかなくてはならないな。 ラッセルでいいかい? 君を探し出したのは彼女だしね」

            「いいとも。 それでいいよ」

             

              ラットレー主任が話しを通してくれて、ボンドはメアリー・アン・ラッセルのクルマを借りて、総司令部へと向かった。

              基地のゲートの前には、交通巡査が立っていた。

              ボンドはゲートでクルマを停めると、グレイの制服を着たアメリカ人の警官にパスを見せた。

              ゲートではフランス人の憲兵がパスを受け取る。 彼は手元のボードに何やら書き込むと、大きな番号が付いたプラスチック板をダッシュボードの上に置いた。 そして手を振って駐車場を指し示した。

              ボンドはクルマを停めると、NATO諸国の旗が並ぶ玄関に向かった。

              ドアを入ると、アメリカ人とフランス人の憲兵が、パスの提示を求めてきた。 1人がノートに要点を書き入れると、ボンドはイギリス人の憲兵に引き渡された。

              憲兵の案内で正面の廊下を歩いていく。 左右には事務室のドアが果てしなく続いていた。

              憲兵は司令部保安部長G・A・シュラーバー大佐と書かれたドアを開けた。

              シュライバー大佐は銀行の支配人の様な慇懃無礼なアメリカ人だった。

              慎重な愛想のいい挨拶を交わすと、ボンドは保安部のお世辞を口にした。

            「これほど二重三重に検問していたら、敵が忍び込むのも容易じゃ無いですね」

            「ここの警備状況については、私は満足しています。 厄介なのは外に出ている機関でしてね」 ここでシュライバー大佐はボンドを軽く一睨みした。 暗にサン・ジェルマンの英軍基地の事だぞ、と言っているのだろう。 「それに、それぞれ本国との連絡がありますから、何か機密が漏れてもどこから漏れたのか見当が付きません」

            「難儀なお仕事ですね」 ボンドは相槌を打った。 「ところで、今度の事件ですが、何か新しい事が判りましたか?」

            「弾丸が出ました。 ルーガーでした。 多分30ヤードぐらいの距離から撃ったんでしょう。 向こうもクルマかオートバイで近づいてきたんでしょうな」

            「そうなると、バックミラーで相手が見えていた事になりますね」

            「たぶんね」

            「伝書吏は、何者かに追跡された際にはどういう指示を受けていたんですか?」

              大佐は口元をほころばせた

            「もちろん、すっ飛ばして逃げろ、ですよ」

            「それで、状況から推定されたオートバイの速度は?」

            「あまりスピードは出していなかった様ですな。 20キロから30キロ程度の様です」

            「バックミラーで犯人を見ていながら逃げなかったとは、敵では無く味方だと認めたからでしょうね。 犯人は不審を抱かせない様な変装をしていたのかもしれません」

              シュライバー大佐の額にしわが寄った。

            「ねえボンドさん、我々だってあらゆる方向からこの事件を検討しているんですよ。 あなたのご意見も既に出ています。 保安部の対策委員会では、あらゆる手掛かりが組織的に調査されているのです。 それに、言っておきますが・・・」

              大佐は片手を上げると、言葉に力をこめる様にデスクに置いた。

            「これまでに出ていないような意見を出せるのは、アインシュタイン級の頭脳の持ち主でしょうな。 この事件については、これ以上議論をする余地は無いんです」

              そうだろう。 そんな事はここに来る前から、充分に解っていたのだった。

              ボンドは、ごもっとも、と云う様に頷くと、笑顔を見せて立ち上がった。

            「それでは大佐、もうあなたの貴重な時間を頂く事は無い様ですね。 出来たら、その会議の記録を見せて下さい。 それと、よろしければ酒保と私の宿舎を教えていただければ」

            「どうぞどうぞ」 大佐は呼び鈴を押して副官を呼んだ。 「彼が案内します。 それと、書類は揃えておきましょう。 食事の後で、私の部屋で見て下さい」

              大佐は手を差しのべた。

              ボンドは挨拶すると、副官について部屋を出た。

              歩きながらボンドは、こんな厄介な任務は初めてだ、と思った。

              14ヶ国の一流の保安関係者が集まっても、どうにもならないのだ。 いったい自分に何が出来ると云うのだろうか?

              その晩、外来者用宿舎のベッドに横になったボンドは、半ば諦めていた。

              2日ばかり粘ったら、あっさりと降参してしまおう。 そう思いながら眠りについた。

             

            *****

             

              引き続き 「薔薇と拳銃/後編」 へどうぞ。

             

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            007おしゃべり箱 Vol.52A−2 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「薔薇と拳銃」ストーリー編/後編』

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              「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

               

              「薔薇と拳銃/後編」

               

              From a View to a Kill Latter Part

               

               「薔薇と拳銃/前編」 からの続きです。

               

                3日目の朝、大佐から電話がかかって来た。

              「ボンドさん、警察犬の捜索結果をお知らせします。 あなたが言われた通り森全体を捜索したのですがね、結果は白でした。 何も出ませんでしたよ」

              「ほう、そうですか。 どうやら無駄な手間をかけさせてしまった様ですね。 警察犬の係りに会ってもいいですか?」

              「ええ、構いませんとも」

                警察犬係の主任は、機敏な抜け目のない目つきのフランス人だった。

                彼の当直室のテーブルの上には、サン・ジェルマンの森の地図が広げてあった。 いくつもの四角いマークが書き込まれている。

              「犬が全部探りましたよ。 何もありませんや」

              「犬が特に嗅ぎ回った場所は無かったのかい?」

                主任は頭を掻いた。 「ウサギが1、2匹居ましてね、そっちを追っかけてしまって、手を焼きましたよ。 それに、キツネ穴も2つばかり見つけちゃいましたからね」

              「そうか」 ボンドはそう応えるしか無かった。

              「もうちょっとまともな物を嗅ぎ回ってくれると、こっちも気合が入るんですがねえ。 そうそう、十字路近くの空き地じゃあ、犬どもを引き戻すのに苦労しましたよ。 きっとジプシーどもの匂いが残っていたんでしょう」

                主任は地図の1点を指した。

              「ジプシーが居座っていたのかい?」

              「ええ、冬の間中ここで幕舎を張ってましたね。 先月ぐらいには居なくなってましたよ。 後はきれいに片付けていきましたけど、犬どもの鼻には何ヶ月も渡って染み付いた匂いが分るんでしょうな」

                ボンドは礼を言って、しばらく警察犬の仕事について軽口をたたいたりして引き上げた。

                建物から出ると例のプジョーに乗り込んで、サン・ジェルマン基地の憲兵詰所に行った。

                憲兵にジプシーの事を尋ねてみる。

              「ええ、男4人と女2人のジプシーがキャンプしてましたね。 みんな知ってますよ。 生粋のジプシーの様で、フランス語は一言もしゃべりませんでしたね。 だけど、行儀は良かった様ですよ。 どこからも何の苦情が出ませんでしたから」

              「彼らは何処へ行ったんだい?」

              「いや、それが、気が付いたらいつの間にか居なくなっていたんですよ。 誰も彼らが引き払うところを見ていないんですな」

                ボンドはプジョーに戻ると、森を抜けるD98号道路に向かった。

                ジプシーは普通の人にとっては異邦人だ。 とは言っても、ここヨーロッパでは必ずしも外国人として見られる事は無い。 人はジプシーのキャンプを、ただの風景の一部としか見ない。

                まさにМが言っていたと云う透明人間みたいな連中ではないだろうか。

               

                教えて貰った十字路近くまで来ると、ボンドはクルマを路肩に停めた。 そして、音を立てない様にしてクルマから下りる。 

                馬鹿らしいと思いながらも、そっと森に分け入っていった。 慎重に大回りして空き地を目指していく。

                空き地はテニスコートの2面くらいの広さで、草と苔に覆われていた。 端の方に土饅頭の様な小山があって、薮と野バラで一面に覆われていた。

                ボンドは空き地の端から端まで歩いてみたが、特に目を引く様なものは見当たらなかった。 次に道路に向かって木立の間に足を踏み入れる。 木立の間には、狭い小道の跡が付いていた。

                何げなく左右の幹を眺めていたが、はっとして膝を付いた。 幹の下の方に、に小さな泥がこすり付けられていたのだ。

                ボンドはその泥を指先でこすり落としてみた。 すると、幹に付いた深い引っかき傷が泥で隠されていた。

                注意して見ると、1本の幹に泥で隠された傷痕が3つあり、もう1本の幹には4つあった。

                ボンドは最初の傷痕を泥で塗りつぶすと、木立を抜けて道路に出た。

                歩いてクルマに戻ると、大事を取って暫らくクルマを押して遠ざかってから、エンジンをかけた。

                何者かがジプシーを装って冬の間に隠れ家を作って、そこを根城にして機密文書の強奪を始めたのではないか?  ボンドはそう思った。

                先ほど見つけた木の幹の引っかき傷は、どれも丁度オートバイを運び込む時にペダルで付いてしまった様な高さに付いていたのだ。

                ボンドは自分が勝手な空想をでっち上げている様な気もした。

                しかし、何者かが幹に付けてしまった傷痕を、丁寧に泥で目立たなくしていたのは事実だ。

                ボンドはプジョーを運転してパリのガブリエル通りのF局に行くと、ラットレー主任に詳しい報告を入れた。 そして総司令部に戻りシュライバー大佐の部屋に行くと、お世話になった礼を言って、引き上げると告げた。

                その後、ボンドは主任が教えてくれた隠れ家に移った。 小さな村の奥にある、目立たない家だった。

                そこでは4人の機関員の男達がボンドを待っていた。 主任がサン・ジェルマン基地へ応援を要請していてくれたのだった。

                4人の士気は高かった。 彼らにとっても、ボンドの推量が当たっていれば、NATO総司令部の保安部の鼻をあかしてやる事が出来る。 その上、英国情報部の株が上がるのは間違い無い。 そうなれば、英国情報部は独自にやっていく、と云うМの願いも通るのだ。

               

                4日目の未明、ボンドは樫の木の太い枝に横たわって、20ヤードばかり先の例の空き地を見張っていた。

                ボンドは全身をパラシュート兵の迷彩服で包んでいた。 頭にも、目と口だけに切り込みを入れた頭巾をかぶっている。 そうやって、夜から朝へと変わる森の様子を眺めていた。

                朝日と共にリスが1匹出て来て、土饅頭のバラの茂みで何かを拾って前足で回しながらかじっていた。

              二羽の鳩も出て来た。

                蜂が野バラに群がって、ボンドにもその羽音が聞こえて来る。

                突然、鳩がバタバタと飛び立って、木立の奥に逃げて行った。

                他の小鳥たちが後に続き、リスも逃げて行く。

                ボンドは自分の心臓の鼓動が早くなっているのが分った。

                野バラの茂みの中から、1本の枝がゆっくりと上に伸び始めた。

                異様に太いまっすぐな枝だ。 先端にピンクの花が付いている。 見ているうちに、茂みから1フィートも上に上がった。

                すると、花びらが開いた。 朝日を浴びて花の中のレンズが光った。

                バラの目が丹念に空き地全体を見回すと、花びらが閉じてゆっくりと下がっていく。  やがて茂みの中に隠れてしまった。

                ボンドはそっと息を吐いた。 目の疲れを休めようと、ちょっと目をつぶる。

                ジプシーとは上手く化けたものだ。

                この土饅頭の地下には、スパイが潜んでいるに違いない。

                次には何が起こるんだ? ボンドは注意深く見つめた。

                土饅頭から微かなうなりが聞こえてきた。 強力なモーターのうなりだ。

                野バラの茂みがかすかに揺れた。 蜂が一斉に飛び立って行く。

                大きな茂みの真ん中にゆっくりとギザギザの割れ目が出来て、みるみると広がっていった。 

                やがて、2つに分れた茂みが観音開きのドアの様にぱっくりと開いた。

                カーブしたドアの金属の縁がピカリと見えた。

                ドアの暗い穴の奥に、青白い電灯の光が灯っている。 モーターのうなりが止んだ。

                すると、男が顔を出し、ゆっくりと出て来た。 さっと蹲って辺りを見回す。 そして振り返って穴に向かって手を振った。

                2人目の男が現れた。 最初の男に雪国のカンジキの様な物を3足渡して、穴に戻っていく。

                最初の男が中の1足を手にすると、ブーツに取り付け始める。 それさえあれば草むらでも足跡が付かない。 大きな網のカンジキで草を踏んでも、草は直ぐに起き上がってくる。 用意周到な奴らだ。 ボンドはニヤリと笑った。

                2人目の男が姿を現し、穴の中からオートバイを引っぱり出す。 オートバイを押して3人目の男も現れた。 後から出て来た2人がカンジキを履くと、3人は一団となって木立を抜けて道路に向かって行った。

                これで解かった。 2人の手下はグレイの作業服だが、頭目らしい音は英国通信隊の制服姿だった。 オートバイも英国陸軍のBSAM20だ。

                これなら総司令部の伝書吏は味方だと思い込んでしまう。

                奪った機密書類は、その晩の内に暗号無線で送ってしまったに違いない。 きっと茂みの中からバラの花が付いたアンテナが伸びたのだろう。

                後ろで糸を引いているのは、ソ連の秘密情報機関だろう。 こんな大掛かりな舞台を作るとは、奴らの仕業に決まっている。

                2人の手下が戻って来て、穴に引っ込んだ。 バラの茂みが閉じる。

                頭目は偵察に出掛けたのだろう。 週1回の伝書吏の習慣が変更になったかどうか、探ろうとしているのだ。 なかなか周到な手合いだ。

                やがて偽の伝書吏が戻って来た。 空き地の端に立って、小鳥の様な口笛を吹く。

                直ぐにバラの茂みが割れて、2人の手下が出て来た。 オートバイを抱えて戻ってくると、3人は穴に入っていく。

                バラの茂みは元通りになって、空き地は何事も無かった様な静けさに戻った。

                30分後には、空き地は再び生気を取り戻してきた。

                1時間たって陽が高くなり木々の影が濃くなって来るのを待って、ボンドはそっと枝から降りた。

               

                その夜、いつものメアリー・アン・ラッセルとの電話では、ひと悶着起きた。

              「正気じゃないわ。 そんな事させられません。 主任に言ってシュライバー大佐に連絡してもらいます。 だってこの事件は総司令部の仕事ですのよ。 あなたの仕事じゃありません」

              「そんな事をしてはいかん」 ボンドは鋭く言い返した。 「シュライバー大佐は、明日の朝、当番伝書吏の替わりに私が走る事には同意しているんだ。 犯罪現場の再現と言ってある。 向こうは何も気にしてやしないんだ。 実際、今度の事件も書類綴りにしまい込んで、片付けちまってるくらいなんだ。 とにかく、私の報告を暗号にしてМに送ってくれるだけでいい。 Мだって、私がこの相手を片付けるのは納得してくれるよ」

              「Мなんかどうでもいいわ。 あなたってインディアンごっこをやってる子供みたいだわ。 そんな連中を1人で相手にするなんて」

                ボンドはイライラしてきた。 「もういい、メアリー・アン。 報告書を暗号にするんだ。 これは命令だ」

                メアリーは諦めた様にため息をついた。 「はい、わかりました。 でも怪我をしない様にね。 幸運を祈ります」

               

                翌日の朝はいい天気だった。

                ボンドはオートバイに跨って、出発の合図を待っていた。

                通信隊の伍長が近寄って来た。 「似合ってますよ。 軍服はぴったりだ。 オートバイの乗り心地はどうです?」

              「夢心地だよ。 オートバイがこんな面白いものだとはすっかり忘れてたね」

              「あたしはオースチンA40とかの洒落た自動車の方がいいですがね」

                伍長は腕時計を覗いた。 「もう7時ですな」 そして親指を上げると、「出発!」と大声で叫んだ。

                ボンドはゴーグルを顔に当てて、ギアを入れるとゲートに向かった。

                184号道路を走って307国道に入る。 ノアルジー・ル・ロアを抜けて暫らく走ると、D98道路だ。

                ボンドは一旦オートバイを停めて、今一度、銃身の長いコルト45口径を点検した。 肌のぬくもりを受けて温かくなったその拳銃を、ズボンのベルトに挟んだ。 上着のボタンはかけないでおく。 準備はОKだ。

                ボンドはオートバイをD98道路に進めた。 もうすぐ事件現場だ。 ボンドは速度を40キロに落として走りながらバックミラーを覗いた。

                写っているのは、後ろの真っ直ぐな道路だけだった。

                奴らに気取られたか?

                しかしその時、バックミラーの中に小さな黒い点が現れた。

                その点がどんどんと大きくなってくる。

                奴だ!

                ハンドルを握る両手の間にヘルメットを低く伏せて、すごいスピードで追って来る。

                ボンドは速度を落としながら、バックミラーに注意した。

                奴の右手がハンドルから離れる。

                それを見たボンドは、急ブレーキをかけた。 オートバイを横滑りさせながらコルトを引き抜く。

                殺し屋の拳銃が二度火を吐き、1発がサドルばねに当たった。

                ボンドはコルトを撃った。

                殺し屋は両手を広げると、オートバイもろとも道路から飛び出していった。 溝を飛び越え、ブナの木に頭からぶち当る。

                そしてガラガラと断末魔の音を立てて、草むらにひっくり返っていった。

                ボンドは倒れた男を見届けると、オートバイに跨って例の空き地を目指した。

                傷痕があった幹にオートバイを立てかけると、ボンドは男をまねて口笛を吹いた。

                何事も起きない。

                口笛の吹き方が違っていたのか?

                その時、バラの藪が揺れて、かん高いモーター音が聞こえてきた。

                カーブしたドアがぱっくりと開く。

                すぐに男が出て来てカンジキを履いた。 2人目の男も出て来る。

                カンジキを忘れた!

                ボンドは心臓が止まる様な気がした。 カンジキがどこか藪の中に隠してあるのを、ボンドも履いてこなければならなかったのだ。

                奴らは気付くだろうか?

                2人が近づいてきた。

                先頭の男が、何か合言葉みたいな言葉を口にした。

                ボンドが返事をしないので、2人は足を止めた。 びっくりした様子でボンドを見つめている。

                ここまでだろう。 ボンドは上着の下からコルトを取り出すと、銃口で手を上げろとゼスチャーした。

                先頭の男が大声で何か叫ぶと、ボンドに向かって飛びかかって来た。

                後ろの男は穴に向かって走り出す。

                木立の間に銃声が響いて、逃げて行く男が地面に右脚をついた。

                ボンドは片膝をついて、ぶつかって来る男に拳銃を突き上げた。

                手応えはあったのだが、男は上からのしかかってきた。

                拳銃の台尻で男の顎を殴り付ける。

                が、頭を長靴で蹴られて、拳銃が手から離れてボンドは仰向けにひっくり返ってしまった。

                男が拳銃に飛びついた。 そして立ち上がると、拳銃をボンドに向けた。

                死ぬんだな、ボンドはそう感じた。

                その時、乾いた銃声がして男が倒れた。 作業服の背中に、みるみる血が広がっていく。

                ボンドは立ち上がると、辺りを見回した。 味方の4人の機関員が、ひとかたまりになって立っていた。

              「いやあ、危ないところだった。 誰が助けてくれたんだい?」 ボンドはヘルメットを脱ぎながらそう言った。

                誰も返事をしない。 みな、ばつの悪そうな顔をしている。

              「どうしたんだ?」

                その時、4人の後ろにもう1人いるのに気が付いた。

                茶色のシャツに黒いジーンズのメアリー・アン・ラッセルだ。 右手に22口径の射撃用ピストルを持っている。

                ボンドは笑い出した。 男達も間が悪そうに苦笑いを浮かべている。

              「誰にも文句を言わないでね」 メアリー・アンがピストルをジーンズに差しながら、そう言った。 「今朝、この人達は私を置いて行こうとしたのよ。 だけど、無理を言って付いて来たの。 でも良かったわ。 偶然、あなたに一番近い所に居たの。 みんなあなたに当たってはいけないと、誰も離れた所から撃てなかったのよ」

              「君が来てくれてなかったら、夕食の約束を破る事になっちまうところだった」 ボンドは笑顔を見せた。 そして男達の方に振り返った。

              「よし、誰かオートバイに乗ってシュライバー大佐に報告に行ってくれ。 この隠れ家の捜索は保安部が来るのを待って行います、と伝えるんだ。 いいな?」

                1人の機関員が、アイ・アイ・サーと応えて走っていった。

                ボンドはメアリー・アン・ラッセルの腕をとった。

              「こっちへ来てごらん。 小鳥の巣を見せてあげよう」

              「あら、それも命令なんですの?」

              「そうさ、もちろん命令だよ」

               

              *****

               

              引き続き 「読後焼却すべし/前編」 へどうぞ。

               

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              007おしゃべり箱 Vol.52A−3 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「読後焼却すべし」ストーリー編/前編』

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                「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

                 

                「読後焼却すべし/前編」

                 

                For Your Eyes Only ~ First Part

                 

                  ジャマイカで一番綺麗な鳥はストリーマー・テイル鳥かお医者様蜂鳥だろう。

                  ハヴロック夫人は広々とした涼しいベランダの洒落たティー・テーブルの前に座って、モンキーフィドルの藪を飛び回るお医者様蜂鳥を眺めていた。

                  ハヴロック夫人はジャマイカでも有数の、この荘園に嫁いで来た時からこうして小鳥たちの姿を見て暮らしてきたのだった。

                  ハヴロック夫人はティー・カップを置くと、サンドイッチをつまんだ。

                「ねえあなた、本当に嫌ですわねえ」

                「何がだね」 ハヴロック大佐はデイリー・グリーナー紙から顔を上げた。

                「ピラマスとダフニスの喧嘩ですよ」

                  ハヴロック大佐には、この小鳥たちに付けられた名前や喧嘩などには興味は無かった。

                「どうやらバチスタもキューバから逃げ出すらしいな。 カストロ派がかなり勢力を伸ばしている様だ。 バークレイが言っていたが、この辺りにもバチスタ一味の金がかなり流れ込んでいるらしい。 麗風荘も誰かに買い取られたと云う噂だ。 化け物屋敷みたいなブルー・ハーバー・ホテルも、ひょっこりと誰かがやって来て買っちまったそうだし、ジミー・ファースンも、あのもてあましものの荘園の買い手を見つけたそうだ」

                「まあ、この島のあちこちがキューバ人の手に渡ってしまうんですか? 嫌ですねえ。 でも、いったいキューバ人はどこからそんなにお金を持ってくるのでしょう?」

                「悪事で作った金に決まってるよ。 ま、財閥の金もあれば政府の金もあるかもしれんがね。 とにかく、連中は早いとこキューバから金を持ち出して、どこかに投資したいのさ」

                「ファースンさんもお爺さんの代には、一回りするのに馬で3日もかかった大きな荘園だったんですけどねえ」

                「ジミーもバカな事をしたものだ。 その内に、この辺りに残る旧家はここだけになってしまうな。 幸い、ジュディがこの荘園を気に入ってくれてるから有難いよ」

                「そうですわ。 あの子はここが好きなんですよ」

                 

                  クルマの音を耳にして、ハヴロック大佐は立ち上がった。

                  程なくして黒人の女中が居間のドアを開けて出てきた。 困った様な顔をしている。

                  女中のすぐ後ろに3人の男がぴったりとついて来た。 女中が早口に言った「キングストンから来たかた達です。 旦那様に会いたいと・・・」

                  先頭の男がスッと女中の前に出た。 男は左手で被っていたパナマ帽を取ると、胸に当てた。 夕陽が髪の油とニヤリとむき出した歯を光らせた。 男は大佐の前に出ると、右手を差し出した。

                「ゴンザレス少佐です。 パナマから来ました。 どうぞよろしく」 ジャマイカ人労働者が使う様ななまりがあった。

                  ハヴロック大佐は形ばかりの握手を返した。 そして男の肩越しに、後ろのドアの両側に控えている2人の男を見た。 2人共この南国では誰もが持っているパン・アメリカン航空のマークが入った肩掛けカバンを下げていた。

                「何の用ですかな?」

                  ゴンザレス少佐は口元をほころばせながら両手を広げてみせた。

                「取引きのお話しです。 私はハバナのある有力な人の代理でしてね」 右手を大きく振ってみせる。 「有名な紳士です。 とてもいいかたでして、あなたもきっと好きになりますよ」

                  ここでゴンザレス少佐は神妙そうな顔をした。 「そのかたから、お宅の荘園の売値を伺ってくる様にと・・・」

                  慎ましやかな微笑みを浮かべてこの場の様子を見守っていたハヴロック夫人が、夫の脇に立った。 そして、相手を困らせない様に彼女は優しく言った。

                「まあ、本当にお気の毒に。 先に手紙でも下されば、こんな埃っぽい道をわざわざここまで来る事など無かったのに。 主人の一家はこの荘園を3百年近く守ってきているのですよ。 売るなんてとんでもありませんわ」

                「家内の言った通りだ。 この荘園は売り物じゃ無い。 さ、クルマで帰るのならこっちが早い。 案内しよう」 ハヴロック大佐は左手を振って歩き出した。

                「ちょっと大佐」 ゴンザレス少佐は陽気な口ぶりで声を掛けた。 そして手下に向かってスペイン語で何か命じた。

                  2人の男はパン・アメリカンのカバンを手に前に出てきた。 ゴンザレス少佐はそのカバンのファスナーを開けて、中を大きく見せた。

                「全て百ドル紙幣で、50万ドルあります。 お国のポンドにすると18万ポンドですね。 ちょっとした財産ですよ、大佐。 あたしの紳士は切りのいい様に、あと2万ポンド出してもいい、と言っています。 さあ大佐、手を打ちませんか?」 ゴンザレス少佐は笑顔を浮かべていた。

                  ハヴロック大佐は怒りと不快の混ざったまなざしで少佐を見つめた。

                「はっきりと返事をしたはずだ。 この荘園はどんな値段だろうと売らん。 さ、お引き取り願おう」

                  ゴンザレス少佐の笑顔が消えた。 が、口調はまだ穏やかだった。

                「大佐、はっきりさせなくて悪かったのはこっちの方だ。 あたしが受けた命令は、この気前のいい条件にあんたが同意しなかったら別の手を使え、と言われているのだ」

                  ハヴロック夫人は急にゾッとして、思わず夫の腕にかけた手に力をこめた。

                  大佐は力づける様に夫人の手に手を重ねた。

                「とっとと帰ってもらおう。 さもないと警察に連絡するぞ」

                  ゴンザレス少佐の明るい表情が消えて、ふてぶてしい顔になる。

                「では大佐、生きている内はこの荘園は手離さない、と云うのがあんたの最終回答ですな」

                「その通りだ」

                  ゴンザレス少佐が小さく頷いた。

                「では、この商談は次の持ち主とする事にします」

                  ゴンザレス少佐は指を鳴らすと、一歩下がった。

                  2人の男がシャツの下から消音器の付いた拳銃を取り出しすと、無造作に大佐夫妻を撃った。 夫妻が倒れても、何度も撃ち込む。

                  ゴンザレス少佐はかがみ込んで2人の死体を調べると、男達を促して玄関を出た。

                  3人はそのままクルマに乗り込み、バナナの積出港へと向かった。

                  波止場では1艘のモーターボートが待っていた。

                  3人が乗ると、モーターボートは沖に停泊している大型ヨットに向かって走り出した。

                  3人がヨットに乗り込むと、素早くボートが引き上げられていく。

                  大型ヨットは夜明けにはハバナに帰っているだろう。 漁師達はこのヨットは映画スターがジャマイカに遊びに来ている船だ、と言い合っていた。

                 

                  1ヶ月後、ロンドンは晴れ渡った小春日和の陽気だった。

                  Mはボンドを呼んでデスクの前に座らせたものの、なかなか用件に入らなかった。

                  しかも、いつもの様に007とは呼ばずに、ジェームスと呼んでいるのがボンドには気になった。 何かMにとって個人的な問題が絡んでいるのだろうか?

                「ジェームス、誰かが土性骨を据えて決断せねばならん。 ここではわしが全ての責任を負って是々非々を判断せねばならんのだ。 このわしが、このけたくそ悪い仕事を進めていかねばならんのだ」

                  ボンドはMが気の毒になってきた。 秘密情報部のトップとして、これまでMは弱音などおくびにも出した事は無かった。 今度ばかりは、Mは何か自分自身に関係した問題を抱えているに違いない。

                「何か私でお役に立てる事があればおっしゃって下さい」

                  Mは分別くさくボンドを見やった。

                「ジャマイカのハヴロック事件を覚えとるか?」

                「新聞で読んだだけです。 女中の話しでは、キューバから来た3人連れが犯人とか。 警察では特に手掛かりは掴んでいない様です。 この件については、特に何の連絡も入っていなかったと思いますが」

                「そうなんだ。 この件はわし宛ての親展として報告させていたからな」

                  Mはここで軽く咳払いをした。

                「実はなジェームス、ハヴロック夫妻はわしの友人なんだ。 2人の結婚式には、わしが仲人として出席した。 1925年のマルタだった」

                「そうだったんですか」

                「2人ともいい人間だった」 Mはぽつんと言った。

                「とにかく、C局へ調査を命じた。 バチスタ側からは何も掴めなかったが、2週間前にカストロ側から情報が入った。 カストロ派の情報機関は、かなりバチスタ政権に喰い込んでいるからな」

                  Mはそう言うと、おもむろに事件の背景を語り始めた。

                  黒幕は元ゲシュタポのフォン・ハマーシュタインと云う男だと言う。

                  ハマーシュタインはキューバのバチスタ政府にスパイ組織の頭目として雇われていたが、バチスタ政権がゆらぎ始めるのを見てキューバ脱出の用意を始めた様だ。

                  それまでの強請りや脅し、賄賂などでかなりの財産を貯め込んでいたので、金の一部を部下の1人のゴンザレスに持たせて、カリブ海域で一流の荘園を買い漁らせた。 金で言う事を聞かない者には、子供を誘拐したり火を点けたりして、相手が手離す様に仕向けたのだ。

                「ハマーシュタインはハヴロックの荘園がジャマイカ一番と聞いて、ゴンザレスに手に入れる様命じたんだろうな。 たぶん、金で売らなかったら2人を殺して娘を脅して買い取れ、とでも命令したんだろう。 ところでその娘だが、もう25歳になっているはずだ」  Мは視線を遠くに向けた。「わしはまだ会った事は無いがね。 だがあの2人の娘だ、さぞ別嬪だろう」

                  2週間前、ハマーシュタインはクビになったとの事だ。 「たぶん今までのボロが出たんだろう」

                  ハマーシュタインは部下を連れてさっさとキューバから逃げ出した。

                「奴らはどこに逃げたんです?」

                「アメリカだ。 バーモントの北、カナダとの国境近くだ。 エコー湖にある億万長者の別荘を借りて住んでいる。 写真で見ると、なかなか居心地のいい所のようだな。 湖を控えた山の奥だ」

                「どうしてそこまで調べがついたんです?」

                「FBIのフーバーが送ってきた。 ハマーシュタインはカストロ派への武器の密輸で目を付けられていたんだ。 フーバーはとても協力的でな。 裁判にかけるだけの証拠があるなら、奴をとっ捕まえてやる、と言ってきてくれた。

                  そこで法務総裁に相談した。 だが、ハバナから証人を連れてこれなければ見込みは無い、と言うんだ。 まったく出来ん相談だ。 これまでの事だってカストロ派の情報機関でようやく解ったんだからな。 そもそもキューバ政府は公式には何もしてくれんよ。

                  次にフーバーは、ビザを取り消して米国から追い出してやろうか、と言ってくれた。 私はせっかくだが、と言ってそのままにして貰っている。 世界のあっちこっちをウロチョロされたら追うのだけでも手間だからな」

                  Mはそこまで語ると、改めてパイプにタバコを詰め始めた。

                「そこで、カナダの騎馬警官隊に話してみたんだ。 総監は好意的だったよ。 国境から飛行機を飛ばしてエコー湖の空中写真をたくさん送ってくれたんだ。 必要とあらばそれ以上の協力も惜しまん、とも言ってくれた」

                  Mはゆっくりとイスを回してボンドに向き直った。

                「そこでだ、次はわしが決断せねばならなくなった」

                  これでボンドにもなぜMが悩んでいるかが解った。 いよいよの段になって、Mは考え込んでしまったのだ。

                  これは正義の裁きだろうか?

                  それとも、ただの復讐か?

                  ボンド自身の気持ちには迷いは無かった。

                  ハマーシュタインは普通に暮らしていた老夫婦をジャングルの掟で殺したのだ。 法でハマーシュタインに制裁を加える事が出来ないのであれば、ジャングルの掟と同様の掟で制裁を加えるべきだ。

                「私は少しもためらいません。 こんな事をした奴を逃げ延びさせていたら、イギリスは腰抜けと思われてしまいます。 力の掟で処分すべきです」

                  Mはボンドから目をそらして宙を見つめた。 自分の心の中を見つめている様だった。

                  やがてゆっくりとデスクの引き出しを開けると、薄いファイルを取り出した。

                  それには、いつもの様に“極秘”のマークは付いていなかった。

                  Mは引き出しからゴム印を出すと、ファイルの表紙に丁寧に押した。 そしてファイルを回すと、そっとボンドの方に滑らせた。

                  まだ湿っているスタンプの赤インクは、“読後焼却すべし”。

                  ボンドは頷いてファイルを取り上げると、そのまま黙って部屋を出た。

                 

                  2日後、ボンドはオタワにあるカナダ騎馬警官隊の本部を訪ねていた。

                  指示通り“ジェームス”とだけ名乗り、総監に面会を申し込む。

                  若い警部補に案内されて、大きな部屋に通された。

                  窓際に濃紺のスーツを着た、若々しい男が立っていた。

                「ジェームスさん?」 かすかな笑顔を見せる。 「私は、そう、ジョーンズ警視正と云う事にしておきましょう。 ま、お掛け下さい」

                  ボンドはジョーンズ警視正と名乗る男と握手してからイスに腰かけた。

                「総監が自分でお迎え出来なくてたいへん残念がっていました。 ひどい風邪でしてね」 ジョーンズ警視正は楽しそうな顔をした。 「今日はサボるのが一番いいと考えたのでしょう。 私はただの下っ端の1人です。 たまたま何回か国境の方に狩りに出かけた事があったので、あなたのチョッとした休暇のお手伝いをせよ、と言われました。 私1人が、です。 いいですね?」

                  ボンドは思わず笑みをこぼした。 それなら彼の役所にとばっちりがかかる事は無い。

                「よく解ります。 ロンドンでも同じ様に考えています。 私がこの建物を出たら、お互いにここでの事は無かった事にしましょう。 たとえ私がどうなっても、そちらではご心配無く。 そういう事でお願いします」

                「では早速・・・」 ジョーンズ警視正はぶ厚いファイルを開いた。 1枚の紙を取り出すと、「お勧めする衣類のリストです」 なるほど、典型的なカナダのハンティングスタイルだ。 「そこの番地は大きな古着屋の住所です」 

                  次にジョーンズ警視正は、ライフル銃や望遠照準器を用意してある、と言った。 そして銃の所持許可証や狩猟許可証を取り出した。

                「これは、カナダでエッソ・ガソリンが出している地図です」 ジョーンズ警視正はそう言うと、1枚の地図を広げて、ここオタワからフレラスバーグまでの道順を説明した。 「5時間はかからんでしょう。 肝心なのはフレラスバーグに着くのが午前3時頃にする事です。 その時間なら自動車屋の男は寝ぼけまなこですからね。 あなたが来た事など、ろくに覚えていないでしょう」

                  次にジョーンズ警視正は1枚のスケッチを取り出した。

                「禁酒法時代の古い密輸ルートのスケッチです。 もちろん現在は使われていません」 そしてフラレスバーグからエコー湖までのルートを説明した。

                「どれくらいの道のりです?」

                「10マイル半くらいです。 道に迷いさえしなければ3時間でしょう。 だから目的地に着くのは6時頃ですね」

                  最後にジョーンズ警視正は1枚の航空写真を取り出した。 ボンドもロンドンで見た写真が大きく引き伸ばされている。

                  手入れの行き届いた、細長い石造りの家と屋根のあるテラスが写っていた。 庭の側には石畳みのテラスがあって、その先の芝生の庭は小さな湖まで続いていた。

                  湖は石造りのダムで造られた人工湖の様だ。 ダムの真ん中あたりに飛び込み台がある。

                  湖の対岸は急な森だった。

                「以上が、私がお話し出来る全てです」 ジョーンズ警視正は空になったファイルを閉じた。

                「ありがとうございます」

                  ボンドとジョーンズ警視正は立ち上がった。

                  ジョーンズ警視正はボンドをドアの所まで送ると、手を差しのべた。

                「できたら私もお供したいくらいですよ。 これでも戦争中はモントゴメリー将軍の第8軍にいたんです。 とにかく幸運を祈ります。 新聞にどう出るか楽しみにしていますよ」

                 

                  その晩と翌日をボンドはモントリオール郊外のコージーと云うモーテルで過ごした。

                  オタワに出て、柔らかいゴム底の登山靴や迷彩服、ブドウ糖の錠剤を用意した。 ハムとパンを買ってきて、手作りのサンドイッチを作った。 また、大きなアルミの水筒を見つけたので、バーボン・ウィスキーを3/4ほど入れて、残りの1/4をコーヒーで満たした。

                  モーテルの食堂で簡単な夕食を摂ってからひと眠りする。

                  夜中を過ぎた頃、ボンドはレンタカーのプリマスに乗り込みフレラスバーグへと向かった。

                  終夜営業のガレージにクルマを預け、2晩分の料金を払う。 ボンドは荷物を背負うと、街道沿いに30分ばかり歩き、右の小道に入った。

                  森の中は深い静寂に包まれていた。 空の高い位置に満月が出ていて、ボンドはライトを点けなくとも小道がたどれた。

                  夜明け前には、ボンドはアメリカ側の108国道と120国道を越えていた。

                  これからは最後の登り坂だ。 国道から充分に離れたのを確認すると、ボンドは立ち止まってタバコに火を点けた。 ついでに密輸ルートのスケッチを燃やしてしまう。

                  既に東の空が白み始めていた。 ボンドはテンポよく坂を登っていった。

                  丸い尾根は木立に覆われ、足元の谷は見通せなかった。

                  ボンドは太い樫の木を見つけると、その木に登ってみた。 そして太い枝の上に這い進んだ。 四方八方、果てしない山並みが続いていた。

                  山のふもと、2千フィート程の緩い傾斜の森の外れに、広い帯の様な牧草地があった。

                  薄い朝もやのベールを通して、湖と芝生の庭と家が見える。

                  ボンドはポケットから狙撃用の望遠鏡を取り出すと、朝日に照らし出されていく家の周りを観察した。

                  牧草地の端から湖畔の家のテラスまでは5百ヤードぐらいだ。 ダムの飛び込み台までは3百ヤードぐらいだろうか。

                  ハマーシュタインは湖で泳いだりするだろうか?

                  とにかく、時間は1日たっぷりある。 夕方まで待って湖まで降りてこなかったら、5百ヤードの距離でテラスを狙おう。 しかし、初めて手にするライフル銃で、5百ヤードは遠すぎる。 牧草地の端から、もっと降りていった方がいい。 それならば、連中が出て来る前に牧草地の向こう側まで行っておかねばならない。

                  連中はいったい何時に起きるのだろう?

                  そんなボンドの疑問に答える様に、母屋の左の窓の白いブラインドがクルッと巻き上がった。 ボンドには、巻き上がった時のパチンと云う音が聞こえた様な気がした。

                  エコー湖だ。

                  こだまする湖だ!

                  こっちの物音も向こうに聞こえてしまうのだろうか? いや、谷底の音が湖面にはね返って上の方にまで聞こえるのだろう。 だとしても、用心するに越した事は無い。

                  左の煙突から、細い煙りがショボショボと昇り始めた。 朝食の支度だ。

                  ボンドは後ずさりすると地面に降りた。 こっちも腹ごしらえだ。 リュックの中から、用意したサンドイッチを取り出す。 パンが喉に詰まりそうになった。 体中に緊張が張りつめてきているのが分る。 

                  ボンドは水筒のキャップを外すと大きく一口飲む。 コーヒーを混ぜたバーボンウイスキーが喉の奥に火を点けて下がっていく。 バーボンのぬくもりが腹にしみわたった。

                  ボンドは立ち上がると、ライフル銃を肩にかけると、木立の間を慎重に降りていった。

                  ボンドは枯れ枝を踏まない様に、足元に気を付けて歩いていく。

                  が、突然に森全体がボンドの侵入に気づいて騒ぎ始めた。

                  先ず、2匹の小鹿を連れた母鹿がボンドを見つけて、ギョッとする程の大きな足音をたてて逃げて行った。

                  真っ赤な頭のキツネがボンドの行く手に現れては、けたたましい声を上げる。

                  怖がらないでくれ。 この鉄砲は君達を撃つために持って来たんじゃ無いんだ。 ボンドは心の中で、そう叫び続けながら丘を下っていった。

                  やがて、森の外れの、樫の大木の陰にたどり着いた。 時計を見ると8時になっていた。

                  ボンドは牧場の向こうの木立を観察して、目的にふさわしい木を見つけ出す。

                  大きなカエデの木があった。 その陰からなら、湖面も家も充分な射程距離だ。

                  ボンドは腹這いになって、牧場の草の中を進み始めた。

                  その時、どこか上の方のあまり遠くない所で、枝の折れる音がした。 ボンドは片膝を付いて耳をそばだたせ、五感を研ぎ澄ました。

                  やはり連中は森の中にまで見張りを潜ませていたのだろうか? 10分以上もじっとしたまま、ボンドは辺りの気配を窺っていた。 こういう時に先に動いたら命は無い。

                  やがて音がしたあたりとボンドとの中間に、2匹の鹿が姿を現した。 2匹は別に慌てる様子も無く、トコトコと牧場を左の方に抜けていく。

                  枝を折ったのは彼らだろう。 ボンドはホッとため息をついた。

                  背の高い生い茂った草地の中を、ボンドは這い進んで行った。 時々顔を上げて、目標のカエデに真っ直ぐに進んでいる事を確認する。

                  あと20フィートぐらいだ。 家が木立に隠れて見えない位置にくると、ボンドは横になって最後の踏ん張りに向けて手首や膝を揉んだ。

                 

                *****

                 

                  引き続き 「読後焼却すべし/後編」 へどうぞ。

                 

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                007おしゃべり箱 Vol.52A−4 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「読後焼却すべし」ストーリー編/後編』

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                  「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

                   

                  「読後焼却すべし/後編」

                   

                  For Your Eyes Only ~ Latter Part

                   

                   「読後焼却すべし/前編」 からの続きです。

                   

                    危険を告げる様な物音はしていなかった。

                    しかし突然、「1インチでも動いたら命は無いわよ」と、女の囁き声がした。

                    ボンドは心臓が飛び出すくらい驚いた。

                    顔のすぐ横に、鋼鉄の矢先があった。 ゆっくりと顔を向ける。

                    汗に濡れた日焼けした若い女が、弓で矢を構えていた。

                  「いったい君は誰だ?」 ボンドはそう言いながら、右手をゆっくりと腰の拳銃の方にずらしていく。

                  「その右手をじっとさせてないと、こいつがあんたの肩を射抜くわよ。 あんた、ここの用心棒なの?」

                  「違う。 君は?」

                  「ばか言わないでよ。 それじゃあんた、ここで何してるの?」

                    女は怪しげな目つきでボンドを見つめている。

                  「先ずこの矢をどけてくれよ。 そしてこんな草原の中から出よう」

                    ボンドは返事を待たずに、四つん這いになって進み始めた。

                    この女が何者にせよ、早いとこ追っ払ってしまわなくては任務に支障をきたす。

                    ボンドは目指すカエデの木にたどり着いた。 女も弓矢を手にしたまま、少し距離をおいてやって来た。

                   

                    ボンドは太い幹の陰から家を窺った。 黒人の女中2人が、庭のテラスに朝食の準備をしていた。

                    ボンドは木の幹を背にして座ると、女を見つめた。

                    女も草むらに座り込むとボンドを見つめ返してくる。

                  「あんた、密猟者ね。 鹿狩りのシーズンはまだ3週間も先よ。 それに、こんな麓の方には鹿は居ないわ。 もっと上の方よ。 あたしが鹿の居そうな場所を教えてあげてもいいけど」

                  「君も狩猟かい? 君の狩猟許可証を見せてくれないかな?」

                    女は素直に胸のポケットから1枚の紙を取り出した。

                    許可証はバーモント州のペニントンで発行されていた。

                    名前はジュディ・ハヴロック。 年齢は25歳。 出身地はジャマイカと記されていた。

                    そうだったのか!

                    ボンドは許可証を返すと、敬意をこめて彼女を見つめた。

                  「ジュディ、君は大したお嬢さんだ。 あいつをその弓と矢でやっつけようというのか。 しかし君は“人を呪わば穴2つ”という中国の諺を知らないかい? あいつらを相手にして無事に逃げおおせると思っているのかい?」

                    彼女は目を丸くしてボンドを見つめた。

                  「あんたは誰なの? 私の事をどこまで知ってるの?」

                  「名前はジェームス・ボンド。 ロンドンから派遣されたんだ。 ロンドンでは、あの家の中の男が荘園の事で君に圧力をかけてくるだろうと考えて、男を倒す事に決めたんだよ」

                  「あいつら、私が可愛がっていた子馬に毒を飲ませたのよ」 彼女は吐き出す様に言った。 「私が子犬の頃から育てたテルザティン犬も撃ち殺したわ」

                    次に連中は手紙を送ってきたそうだ。 “死は多くの手を持つ。 その1つが、今お前の頭上にある” そして、決められた曜日の消息欄に“承知した。ジュディ”、と載せればいい、というのだ。

                    警察に届けたが、キューバ人のしわざらしいと云う事で、手の打ちようが無いと言う。

                  「そこで私はキューバに行って、一流のホテルに泊まってカジノで大金を使ったのよ」

                    とっておきのドレスを着て伝家の宝石を身に着けた彼女に、誰もが興味を示した様だ。 「小説家のフリをして、ギャングの事を聞いて回ったの。 そして、あの男にたどり着いたのよ」ジュディは湖畔の家を指した。

                  「どうやってここを探り当てたんだい?」

                  「アメリカに渡ってピンカートン探偵局に調べてもらったの」

                  「ここへはどうやって?」

                  「ベニントンまで飛行機で来て、それからは歩いたわ。 4日かかった。 でも私はこういう事は慣れてるのよ」

                  「それで、その弓矢でハマーシュタインを撃つつもりなのかい?」

                  「そうよ」 ジュディは澄ました顔であっさりと答えた。

                    その時、家の方で声がして、男3人と女2人がテラスに出て来た。

                    ボンドは望遠鏡を取り出して覗いてみる。

                    男の1人は小ざっぱりした服を着ている。 他の2人はどん百姓タイプだ。 女達は派手な水着姿だった。

                    ジュディが近寄って来たので、ボンドは望遠鏡を手渡した。

                  「おしゃれな身なりの小男がゴンザレス少佐だろう。 他の2人は用心棒に違いない。 女はキューバから連れて来た娼婦だろうな。 ハマーシュタインは出て来ていない」

                    ジュディは望遠鏡でひとしきり眺めるとボンドに返した。

                    女達が家のドアの方に振りかえって、挨拶らしい声を上げた。

                    ドアを開けて、がっしりとした初老の男が出て来た。 海水パンツ1枚の姿で、芝生の庭に歩み出て朝の体操を始めた。 ハマーシュタインだ。

                    ボンドは肚を決めた。 一発勝負の仕事に失敗は許されない。 可哀想だが彼女には首根っこにガツンとお見舞いして大人しくしておいて貰おう。

                    ボンドはそっと拳銃に手を伸ばした。

                    ジュディが何歩か後ろに下がった。 そして無表情に弓矢を構える。

                  「おやめなさい。 私がこんな所まで来たのは、ロンドンの探偵風情に頭を殴られる為じゃ無いのよ。 あんたの脚なんか撃ちたく無いけど、あんたが邪魔立てするなら撃つわ」

                  「馬鹿なまねはよせ。 そいつを下ろせ。 こういう仕事は男に任せるんだ。 第一、そんな弓矢で4人の男を片付けようってのは無茶だ」

                  「私の父と母は、あいつらに殺されたのよ。 あんたの親じゃ無い。 これは私がやる事なの。 あんたになんかに手出しはさせないわ。 私はここで一昼夜過ごしたのよ。 この弓矢でハマーシュタインを仕留める算段は立ててあるんだから」

                    ジュディは強情に目をいからしている。 ボンドは観念した。 どんな段取りを考えているのか知らないが、ここは彼女に試させて、後は自分が後片付けをするしかないだろう。

                    しかし、どうやってこの頑固な女を説得しようか?

                  「わかったよ、ジュディ。 だがね、こっちは君の弓矢なんかよりも数倍も射程が長いライフル銃を持っているんだぜ。 今だって撃とうと思えば撃てるんだ。 でも、ちょっと距離がある。 奴が海水パンツを穿いているところを見ると、いずれは湖に入るに違いない。 そこを狙うつもりなんだ。 ここは一緒にやった方が確実だよ。 君は私の援護射撃をしてくれないかな?」

                    ボンドはなだめる様に、そして努めて穏やかに語りかけた。

                  「嫌よ」 ジュディはきっぱりと言った。 「援護射撃とやらは、あんたがやって。 父と母の仇は私が撃つの。 文句は言わせないわ」 ジュディはそう言うとボンドに向かって弓を引き絞った。 「一緒にやった方がいい、と言うあんたの意見には賛成だわ。 だけど、あんたは私に協力するしか無いのよ。 勘違いしないで」

                    厄介な女が現れたもんだ。 が、こうなったら仕方が無い。 弓矢で脅かされるのは癪にさわったが、彼女の岩をも通す一念に手助けしてやりたい、とも思い始めていた。

                  「じゃ、好きな様にやってくれ。 こっちは他の連中を引き受けるよ。 首尾よく片付いたらここで落ち合おう」

                    ジュディは弓から矢を外した。

                  「あんたが物分かりが良くてよかったわ。 この矢は刺さったらなかなか抜け無いのよ。 それと、ハマーシュタインが泳ぎに下りてくるだろうって云うあんたの読みは当たってるわ。 私は奴を狙う絶好の場所とタイミングを見つけてあるの。 だから私の事は心配しないで、ちゃんと隠れていてよ。 その望遠鏡で陽の光を反射させる様なヘマをしないでね」

                    ジュディはチラッと満足そうな笑顔を見せると、背を向けて木立の間を下りていった。

                   

                    2人の女が朝食の後片付けをして、家の中に入っていった。 用心棒の姿も見えない。

                    ハマーシュタインはベンチのクッションにそっくり返って、傍らに座っているゴンザレスに何か話しかけている。 食後の休憩の様だ。 目立った動きが無いので、ボンドは幹に寄りかかって腰を下した。

                    ロンドンではMに威勢のいい言葉を口にしたが、実を言うとボンドは今度の任務は気が重かった。

                    イギリスを発つ前から、奴らがどんなに酷い連中なのかを自分に言い聞かせていた。 これは保健所の職員がネズミを駆除する様な仕事なのだと、思う様にしてきた。

                    連中はスメルシュと同じく英国の敵なのだ、と言い聞かせてきた。

                    しかし、ボンド自身にとっては、彼らを倒さねばならない理由は何も無いのだった。

                    出し抜けに、自動小銃の連射音が谷中に響き渡った。

                    ボンドははっと立ち上がった。

                    一羽のカワセミがクルクルと回って、芝生の上にストンと落ちた。

                    トミー・ガンを手にしたハマーシュタインが素足のまま歩いてきて、カワセミをグイと踏みつけた。

                    いつの間にか用心棒や女達が出て来ていた。 その連中がげらげら笑ったり、媚びる様に拍手をしたりしている。

                    ハマーシュタインは振り返ると、百発百中なんだぞ、とでも言う様に笑い声を上げた。 そして女達に何か言いつけた。 2人の女は嬌声を上げて家に駆け込んで行く。

                    ハマーシュタインは2人の用心棒を従えて湖水の方へ下りて来た。

                    女達が家の中から走り出して来る。 それぞれ手にシャンパンの空き瓶を持っていた。

                    用心棒の腕比べでもするのだろうか。

                    2人の用心棒はそれぞれトミー・ガンを持って、ダムの石垣に20フィートばかり離れて位置についた。 湖水に背を向けている。

                    ハマーシュタインは両手に空き瓶を持って芝生の端に立った。

                    女達はその後ろで、両手で耳を塞いでキャーキャー騒いでいる。

                    ハマーシュタインが何やら怒鳴った。 そして、両腕を後ろに振りながら「いーち、にっ」と叫んだ。 そして「さんっ」で空き瓶を湖の上に放り上げた。

                    2人の用心棒はクルッと振り返ると、腰に当てたトミー・ガンをぶっ放した。

                    雷鳴の様な銃声が、静かな谷間をつんざいた。

                    左側の瓶は粉々に砕けたが、右側の瓶は一発当たっただけで左より何分の1秒か遅れて2つに割れた。

                    左側の用心棒の勝ちだ。 2人共芝生の方に戻っていく。

                    ハマーシュタインが女を手招きした。 女達は渋々と前に出て来る。

                    ハマーシュタインが勝った方に何か言っている。 訊ねられた男は左側の女の方に頷いて見せた。 女は媚びを含んだ目で男を見返す。

                    ハマーシュタインとゴンザレスは大きな笑い声を立てる。 そしてハマーシュタインはその女の尻をたたいた。 「一晩だけだぞ」と云う声が、ボンドにも聞こえた。

                    女達は嬌声を上げながら湖水に飛び込んでいった。

                    ゴンザレスは上着を脱いで、芝生の上に腰を下した。 肩に拳銃のホルスターを吊っているのが見えた。 彼はハマーシュタインが時計を外して飛び込み台の方に歩いていくのを、じっと見守っていた。

                    2人の用心棒はトミー・ガンを手にしたまま、湖岸から下がった場所であたりに気を配っている。

                    普段の日常の様子からこんな調子なのなら、ハマーシュタインがこれまで生き延びてこられたのも当然だろう、とボンドは思った。 とにかく、それだけの用心をしている男なのだ。

                    ハマーシュタインが飛び込み台の端に立った。 軽く膝を曲げて両腕を後ろに引く。 その腕が前に振られて、足が飛び込み台から離れた。

                    その一瞬、ハマーシュタインの背中に銀色の矢が突き刺さり、次の瞬間、彼の体は水面に落ちていった。

                    ゴンザレス少佐が立ち上がった。 口をぽかんと開けて湖面をのぞき込んでいる。 自分が何を見たのか、はっきりと分かっていない様だ。

                    2人の用心棒は、はっきりと気が付いた様だった。 地面に片膝を立てて、ダムの後ろの木立にトミー・ガンを向けている。

                    ボンドは口の中がカラカラになってきていた。

                    ゆっくりと湖面の波が静まって、ハマーシュタインの体が水面に現れた。

                    俯せになった肩甲骨のあたりに、1フィートばかりの矢が突き立ってキラリと光った。

                    ゴンザレス少佐が大声を上げると、2挺のトミー・ガンが銃声を上げた。

                    ダムの後ろの木立に、バリバリと銃弾が撃ち込まれる。

                    ボンドは用心棒の1人に狙いを付けると、引き金を引いた。

                    男は後ろ向きにひっくり返った。

                    もう1人の用心棒は、腰だめで連射しながら湖面の方に走っていく。

                    ボンドはその男を狙って撃った。

                    外れた。

                    もう一発。

                    男は前につんのめる様にして、湖面に倒れ込んだ。

                    一発外した為に、ゴンザレスにチャンスを与えてしまった様だ。

                    彼は先に倒れた用心棒の死体の陰に飛び込むと、トミー・ガンを手にしてボンドに向かって撃ち返してきた。

                    ボンドが身を隠しているカエデの木に、弾丸がブスブスと突き刺さる。

                    ボンドの姿を見つけたのか、それともライフルの銃口の火を頼りに撃ってきてるのかは分らないが、いい腕だ。

                    ボンドも2発撃ったが、倒れた用心棒の死体がビクンビクンと動いただけだった。

                    弾丸をこめ直して、ライフルを構える。

                    が、その時ゴンザレスは立ち上がって、テラスの方に駆け出していた。

                    ボンドのライフルがその足元の芝生を2カ所ばかりはね上げた時には、ゴンザレスは庭の鉄のテーブルをひっくり返して、その陰に隠れてしまった。

                    奴はこの堅固な盾に隠れてから、狙いが正確になってきた。

                    カエデの幹はたて続けにトミー・ガンの弾丸を浴びている。

                    ボンドも負けじと撃ち返したが、一発はテーブルに当たり、もう一発は庭の向こうに飛んでいった。

                    ゴンザレスはテーブルの右から撃ったり左から撃ったりと、ボンドに狙いを付けさせない。

                    ボンドのすぐわきやすぐ上に何発も弾丸が降りそそいだ。

                    ボンドはしゃがみ込むと、右に走った。 奴の不意を衝いて牧草地の端から狙ってやろう、と思ったのだ。

                    しかし、ゴンザレスもテーブルの陰から飛び出したのが目に入った。

                    奴も膠着状態にケリをつけようと思ったのだろう。

                    ゴンザレスはダムに向かって走っていく。

                    木立に入って、ボンドを追い立てようと云う肚だろう。

                    ボンドは足を止めると、ライフルを構えた。

                    ボンドが立ち止まったのに気が付いたのか、ゴンザレスもダムの上で片膝を付いた。 ボンドに向けて連射してくる。

                    ボンドは弾丸の音を聞きながら、冷静に狙って引き金を引いた。

                    ゴンザレスの体が揺れた。 そして、両腕を広げて空に向かって弾丸をばら撒きながら、湖面へと落ちていった。

                   

                    ボンドはライフルを肩に掛けると、さっきのカエデの所にもどった。

                    ジュディもそこに来ていた。 腕で頭を抱えて、木に突っ伏している。

                    右腕から血を流れていた。

                    ボンドは近寄ると、震えている肩に手をかけた。

                  「落ち着くんだよ、ジュディ。 もうすっかり片付いた。 腕はどうだい?」

                  「何でもないわ。 何かが当たっただけよ。 それより、凄く怖かった。 マシンガンの弾がバリバリと飛んできて」

                    ボンドは力づける様に肩をつかんだ。

                  「あの連中はプロの殺し屋なんだ。 それも、とびきり悪い奴らだ。 だから、こんな事をするのは男の仕事だと言っただろ? さあ、その腕を診よう。 そして、すぐに出発しよう。 州警察がやって来る前に国境を越えちまわないとね」

                    ジュディは腕を出した。 ボンドは傷口をコーヒー入りウィスキーで洗うと、リュックから厚いパンの一切れを出してハンカチでしばった。

                    次にブラウスの袖を縦に切り裂くと、一方を後ろに回して首の後ろで結んでやる。

                    ジュディの唇が3インチのところにあった。

                    彼女の体は温かい野獣の様な匂いがした。

                    ボンドはその唇にそっと接吻する。 そしてグレイの瞳をのぞき込んだ。

                    その目はびっくりした様で、嬉しそうだった。

                    ボンドは笑顔を浮かべると、傷付いた腕をそっと袖で作った吊り紐にかけてやった。

                  「私をどこに連れていくの?」

                  「ロンドンさ。 君に会いたがっている爺さんが居るんだよ。 だがその前にカナダに入らないとね。 オタワの我々の友人に君のパスポートの手続きを取って貰おう。 身の回りの物も揃えなくてはならないし。 2〜3日はかかるだろうな。 その間はコージー・モーテルと云う所に泊まるんだよ」

                  「面白そうだわ。 私、モーテルって泊まった事が無いの」

                    ボンドはかがみ込んで、ライフルとリュックを肩に掛けた。 彼女の弓と矢筒も拾い上げると、もう一方の肩に掛ける。 そして草原を登り始めた。

                    ジュディもその後ろについて歩き出した。

                    髪を束ねていたリボンを取ると、金髪がはらりと肩にかかった。

                   

                  *****

                   

                    引き続き 「危険/前編」 へどうぞ。

                   

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                  007おしゃべり箱 Vol.52A−5 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「危険」ストーリー編/前編』

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                    「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

                     

                    「危険/前編」

                     

                    Risico ~ First Part

                     

                      その日、Мは機嫌が悪かった。

                    「007、今、手はふさがってるか?」

                    「今のところ、書類仕事だけです」

                    「書類仕事だけとは、どういう意味だ?」 Мはパイプの吸い口を未決書類の入ったケースに向けた。 「書類仕事の無い人間がいるか?」

                    「つまり、動き回る仕事は無いっていう意味ですが」

                    「それなら、そう言え」

                      Мはテープでまとめられたファイルの束を手にすると、ボンドの方に乱暴に投げて寄こした。

                    「こいつも書類だ。 ほとんどが警視庁の麻薬取締班のだ。 それと内務省と厚生省からのも入っている。 ぶ厚いのは、ジュネーブの国際アヘン取締機構からの報告書だ。 こいつを持ってって頭に入れるんだ。 そして明日にはローマに飛んで、この大物を追い詰める。 分かったな?」

                      ボンドははいと答えながら、Мの機嫌が悪い理由を理解した。

                      Мが何よりも腹を立てるのは、こういった秘密情報部の本来の仕事以外の事に部下を使わされる事だった。

                    「何だ? 何か質問があるか?」 Мは顎を突き出すと、ぶっきらぼうに言い放った。 まるで、さっさと行け、と言わんばかりだ。

                    「2つあります」 ボンドは穏やかに言った。 「1つは、なぜこの様な仕事を引き受けたのか? 2つ目は、支局はどうかかわっているのか? です」 

                      Мは苦々し気に口元を歪めると、イスを回して窓の外に視線を向けた。 そしてパイプを手にすると、せわし気に煙を吐き出した。

                      これで少しは癇癪が収まったらしく、Мはボンドに向き直った。

                    「007、君も解っていると思うが、わしはこんな麻薬事件などに引っぱり出されるのが気に食わんのだ。 今年の春には君をメキシコにやって、麻薬密売者を追い詰めさせたが、あの時は警視庁の特別部からの頼みで、やむなく引き受けた。 そうしたら、また君の手を借りたい、と言ってきた。 わしは断わったよ。 ところが、ヴァレンス副総監は内務省や厚生省に手を回して、大臣達からゴリ押ししてきたんだ。 こっちは手が塞がっている、と突っぱねたんだが、2人の大臣は総理に泣きついたんだな。 総理から電話がかかって来た」

                      Мはここでため息をついた。

                    「これでもう否応なしだ。 それに総理もこっちの泣き所を心得ていてな、密輸されるヘロインの量を考えると我が国を弱らせようとする何者かの意図がある、と言うんだ。 イタリア・ギャングの陰で糸を引いている輩が居るに違いない、とな」

                      Мは苦笑いした。 「どうもロニー・ヴァレンスが総理に吹き込んだセリフらしいがね。 それはともかく、麻薬取締班はやっきになってるし、警視庁の密行班はイタリア警察と連携して、打てるだけの手は打っているのだが、どうも埒が明かない様だ」

                    「確かに、どこかの国が後押ししてるのかもしれませんね」

                    「そうなんだ。 そこでわしはアメリカに電話してみた。 CIAのアレン・ダレスは協力的だったよ。 また、CIAとは別に、財務省の麻薬取締局がイタリアに1班潜入させている、と教えてくれた。 その連中はCIAのローマ支局とも緊密に連携しとるらしい。 まあ、お互いに縄張りを荒らし合わない様に必要なんだろう。

                      ただ、ダレスが言うには、どんな形でもCIAの部下を巻き込ませる事は出来ないし、財務省の方でも潜入させている取締班がこっちと協同で動く事は歓迎せんだろう、だった。

                      しかし、ダレスは使っているピカ一の情報提供者の名前を教えてくれたよ。 どうも二重スパイらしいんだがね。 本人も表向きを誤魔化す為に、ちょっと麻薬の密輸をやっているらしい。 で、こっちの人間が仕事の事で会いたい、と男に伝えてもいい、と言ってくれたんだ。 私は、それは願ってもない事だ、と言って頼んだよ。 で、昨日、そのクリスタトスと云う男と段取りが付いた、と返事を貰ったんだ」

                      Мはボンドの前のファイルに手を振ってみせた。 「詳しい事はそれを読めばすっかり解かるだろう」

                      危険な、そして汚い仕事になるな、ボンドはそう思いながらファイルを手にした。

                    「分りました。 金がかかりそうですね。 いくら使えるんですか?」

                    「10万ポンドだ。 総理がそう言った。 だが、あまり厄介な事になったら、倍の20万ポンドになってもかまわん。 麻薬を扱う組織ってのは、犯罪組織の中でも一番固い結束をしているからな」

                      Мはそう言うと、未決書類のケースから電報の綴じ込みを手にした。 そして、「気を付けてな」と、顔も上げずに言った。

                     

                      ローマに入ったボンドに与えられた指示は、「エクセルシオ酒場で1人でアレキサンドラを飲んでいる、大きな髭の男を探せ」 だった。

                      ボンドはこの指示が面白いと思った。 新聞を小脇に挟むとか、上着の襟に花を挿すとか、スパイ同士の大時代な符号よりも、ご婦人向けのカクテルを目印にする方が、ずっと気が利いている。

                      ボンドが酒場に入って店内を見回した時、店には20人くらいの客が居た。 しかし、大きな髭の男は居なかった。

                      どうやらクリスタトスは、小さなテストから始めた様だ。

                      ボンドは今一度店内を観察した。 店の奥のテーブルの上にオリーブやカシューナッツの小皿に挟まれて、クリームとウォッカのカクテル・グラスが立っている。

                      ボンドは迷わずそのテーブルに行き、イスを引き出して腰を下した。

                      ボーイがボンドの横に立った。

                    「いらっしゃいまし。 クリスタトス様は今電話中です」

                      ボンドは頷いた。 「ネグロニをくれ。 ジンはゴードンでね」

                      ボーイはカウンターに戻っていく。 「ネグロニいっちょう。 ゴードンを使って」

                      ボーイと入れ替わる様に、男が1人やって来た。 「これは失礼」 そう言うとイスに腰を下した。 「ちょっとアルフレッドと話があったのでね」

                      握手は無しだ。 はた目には古い仲間を装わねばならない。

                    「あれの息子はどうだい?」 ボンドは初球のテストを打ち返した。

                    「相変わらずの様だな。 息子がどうだって?」

                    「いや、小児麻痺はたいへんだからね」

                      クリスタトスの黒い眼がじっとボンドを見つめた。 確かにこいつは素人でな無さそうだ、とその眼が言っている。

                      ネグロニが来て、2人は楽に座り直した。

                      お互い、同じ穴のムジナなのだ。 ボンドは少しばかりリラックスした気分になっていた。

                      しばらく当たり障りのない会話をした後で、「場所を変えよう」 とクリスタトスが言葉をはさんだ。 「連れて行きたいレストランがある」

                      その晩、ボンドとクリスタトスはスパニヤ広場のはずれにある、コロンバ・ドーロと云う小さなレストランに入った。

                      ボンドはまだ自分がテストの続きを受けている様で面白かった。

                      クリスタトスは、まだボンドを観察し、値踏みし、取引の相手として信用出来るかどうか、迷っているのだ。

                      確かにクリスタトスのこういった用心は、Мの勘が外れていなかった証拠だ。

                      つまりこの男は、何か大きな事を知っている。

                    「こういう話しは、たいへん危険が多くてね」 レストランのテーブルに着くと、クリスタトスはおもむろにつぶやいた。

                    「我々の仕事は儲けが大きい。 しかも取引は夜に限られている。 そもそも危ない仕事だろう」 ボンドは声をひそめた。 「資金はある。 ドルでもスイス・フランでも、ベネゼエラのボリヴァーでも、どれでも用意できる」

                    「そいつは良かった。 こっちはイタリアのリラはあり余ってるんでね。 それはそうと、何か食おう。 空きっ腹では大きな取引は出来ないからな」

                      クリスタトスは大判のメニューを広げた。

                    「ボンドさん、回りくどい言い方は止めよう。 いくら出す?」

                    「百パーセント上手くいったら、5万ポンド出そう」

                    「ふむ、ちょっとまとまった額だな」 クリスタトスは冷ややかに応じた。 そして「私はメロンとチョコレート・クリームにしよう。 夜は軽い食事と決めているんだ。 この店には自家製のキャンティがある。 お勧めするよ」 と言った。

                      ボーイが来て、イタリア語の短いやり取り。 ボンドはジュノエーゼ・ソースを添えたタダリアテリ・ヴァルディを注文した。

                      クリスタトスは黙ったまま楊枝を口にくわえた。 目付きが鋭くなってきている。 そして、落ち着かない様子で店内を見回した。 ただ、ボンドには目を向けようとしない。

                      クリスタトスは誰かを裏切ろうかどうしようか、迷っているのだろう。

                      ボンドはもうひと押ししてみる事にした。

                    「場合によっては、もっと出せる用意があるのだがね」

                      クリスタトスは肚を決めた様だ。 「そうかい」 と言うと、イスを引いて立ち上がった。 そして「ちょっと失礼。 トイレに行ってくる」 そう言うと、店の奥へと行ってしまった。

                      ボンドはロールパンをちぎって、黄色いバターをこってりと付けて口に入れた。

                      後はただ彼の出方を待つだけだ。

                      彼はアメリカに信用されている男だ。 きっと意を決して、どこかに電話をかけているのに違いない。

                      ボンドはいい気分になって、窓の外に目を向けた。

                     

                      ボンドのテーブルと反対側の帳場の隅のテーブルに、1組の男女が座っていた。

                      男は陽気にスパゲッティを口に運んでいる。 金髪の女がちょっとボンドを見やってから、そっと囁いた。

                    「あの男、笑った顔に凄みがあるけど、相当な色男よ。 色男のスパイなんて変だわ。 間違いないの?」

                      男はナプキンで口の周りをぬぐうと、派手なゲップをした。

                    「こういう事にかけてサントスはヘマはせんよ。 あいつはスパイの匂いには敏感なんだ。 それにスパイで無かったら、誰があんなブタ野郎と晩飯なんか付き合うもんか。 だが、念には念を入れようか」

                      男はポケットからクリスマスに使う様なクラッカーを出すと、パーンと鳴らした。

                      支配人がやりかけていた仕事を止めて飛んで来た。 「どうかなさいましたか?」

                      男が手招きして支配人の耳元に何やら話しかけた。 

                      支配人は黙ったまま頷くと、調理場の隣りの“事務室”と書かれたドアに入っていった。

                      しばらくして出て来ると、ボーイ頭を大声で呼ぶ。 「4人様のお席を大至急だ」

                      ボーイ頭は支配人の目を見つめて頷いた。

                      ボーイ頭は指を鳴らして手伝いのボーイを集めると、あっちこっちのテーブルに頭を下げてイスを1つずつ借り集める。 ボンドのテーブルからもイスを持って行った。

                      最後の1つは事務所から運んで来た。

                      ボーイ達がテーブルに4人分のナイフとフォークを並べる。

                      ところが、そこで支配人が眉をひそめた。 「なんだ? 4人分用意しちまったのか? 俺は3人と言ったんだぞ。 3人様の席だ」 支配人はそう言うと、事務所から出したイスをボンドのテーブルに戻した。 そしてボーイ達に、もういい、と合図の手を振る。

                      ほどなくして3人のイタリア人が店に入って来た。 支配人が3人を用意の出来たテーブルに案内する。

                      男はそんな様子を横目で眺めていた。

                     

                      クリスタトスがテーブルに戻って来た。

                      料理が運ばれて来て、2人は食事を始めた。

                      食事の最中、2人は愚にもつかない事をしゃべり合った。 イタリアの選挙の話しやアルファロメオの新車の話しなど、クリスタトスはよくしゃべった。

                      食事が終わって、コーヒーが来た。

                      クリスタトスは両手をテーブルについて、テーブルクロスを見つめる。

                    「この話しは乗る事にしよう。 今まではアメリカ人しか相手にしていなかったから、これから話す事はアメリカ人には話していない。 そのつもりで聞いてくれ」

                    「分かっている」

                    「その組織と云うのはアメリカに送る事は禁じられているんだ。 イギリスだけが目当ての組織なんだ。 いいね?」

                    「分る。 何にでも縄張りは付きものだからな」

                    「そうなんだ。 ところで情報を渡す前に、商売人らしくきちんと話をしておこう」

                    「もちろんだ」

                      クリスタトスはいっそうテーブルクロスを睨んだ。

                    「米ドルで1万ドル欲しい。 あんたがその組織をつぶせたら、もう2万ドルだ」 クリスタトスはちらっと目を上げて、ボンドの顔色を窺った。 「そう欲張るつもりは無い。 そっちの資金を全部寄こせと言ってるわけじゃ無い。 どうだい?」

                    「値段は結構だ」

                    「よかった。 で、第2の条件。 どこでこの情報を仕入れたかは、秘密にしておいて貰いたい」

                    「当然の条件だな」

                    「第3。 その組織の首領は極め付きの悪党でね。 そいつを始末せねばならない。 殺すんだ」

                      ボンドは座り直した。

                      ははあ、読めてきたぞ。 この男は私怨をはらそうと目論んでいるのだ。 しかも、殺し屋に金を払うのでは無く、殺させてやるからと、金を取ろうと云うのだ。 この男はこの大芝居で秘密情報部を道具に使う肚だ。

                    「なぜ殺さなきゃならないのかね?」 ボンドは静かに尋ねた

                    「余計な質問をしなければ、つまらん嘘も聞かずに済むって諺がある」 クリスタトスは冷ややかに答えた。

                      ボンドはコーヒーを飲んだ。

                      こっちにとっては、どうでもいい事だ。

                      仕事が上手くいって、例えばクリスタトスが得をしたところで、誰も文句は言わない。

                      もしその首領とやらが組織そのものだったら、Мの命令に従えば、殺すだけだ。

                    「必ず殺すとは、約束出来ないな。 ただ、向こうがこっちを殺そうとするなら、殺してやるさ」

                      クリスタトスは顔を上げた。

                    「いいだろう。 金を払ってくれるのはそっちだからな。 では情報をやろう。 ただし、後はそっちでやるんだぞ。 こっちは何も手は出さないからな」

                      クリスタトスはそう言うと、イスをボンドの方に寄せた。

                      そして、静かにだが早口で、密輸ルートの詳細を語り始めた。

                      ボンドは注意深く聞きながら、記憶のメモを取り続けた。

                    「なるほど、それでその首領と云うのは誰なんだ?」

                      クリスタトスは咥えていた細い葉巻に手をやって、そのまま口元を隠した。

                    「ハトと云うあだ名で呼ばれている、エンリコ・コロンボと云う男だ。 この店のオーナーだよ。 だから連れて来たんだ。 当の本人を見せてやろうと思ってね」

                      何とも大胆な事をするもんだ。 ボンドは一瞬びっくりしたが、顔色に出さずに先を促した。

                    「向こうに金髪の女と一緒の太った男が居るだろう。 あいつがそうだ。 女はウィーンから来たリスル・バウム。 高級淫売だよ」

                    「あの女がねえ」 ボンドは視線を向けずにそう言った。

                      そもそもこの店に入った時から、その女の事は気が付いていた。

                      陽気で大胆で人なつっこい顔立ちで、男なら誰でもその華やかな佇まいに気をそそられるだろう。 しかもボンドは、先刻から女が時々自分の方に視線を向けているのに気が付いていた。

                      相手の男は陽気な金持ちといった、典型の男だった。 彼は気前よく何でも買ってやってるに違いない。 女もしばらくは、この恋人が気に入ってるだろう。

                      ボンドはそんな、陽気で贅沢で人生に張りを持っている男に好感を感じていた。

                      しかし、こうなってくると、そうは言ってはいられない。

                      ボンドは2人の方に目を向けた。

                      2人は何か派手に笑っている。 男が軽く女の頬をたたいてイスから立つと、事務所に引っ込んでしまった。

                    やはりこの男がイギリスに大量の麻薬を密輸している元凶なのだ。

                      Мがその首に10万ポンドを賭けた男だ。

                      ボンドは残された女を、ずうずうしく見つめた。 女は顔を上げてボンドの視線を受け止めたが、すぐに目をそらした。 そして口元に笑みを漂わせながら、タバコの煙を天井に吹き上げる。

                      女はボンドに、横顔を見せつけ様としているのが分った。

                     

                      ボーイ達が空いたテーブルの後片付けと、新しい客の準備を始めた。

                      支配人がボーイ頭に、6人の席を用意する様に言った。

                      ボンドのテーブルから、イスが再び取り上げられた。

                      ボンドはクリスタトスに、コロンボについて細かい質問を始めた。 住まいはどこか? 拠点の倉庫はどこにあるのか?

                      だからボンドは、自分のテーブルから持って行かれたイスが、何げなく次々とテーブルを回って、事務所に運び込まれたのに気付かなかった。

                     

                      イスを事務所に運び込ませると、エンリコ・コロンボは手を振って支配人を下がらせた。

                      イスの厚いクッションを外してデスクの上に置く。 そして、横のジッパーを開いて、手を突っ込むと、中から取り出したのは小型のテープレコーダーだった。

                      コロンボは時々巻き戻しながら、テープの声に耳をすました。

                      ボンドが言った「あの女がねえ」まで聞くと、コロンボはテープを止めて、じっとテープレコーダーを睨んだ。

                      やがて、「くそったれめ」と呟くと、事務所のドアを開けた。

                      コロンボはテーブルに戻ると、女の耳元でせかせかと呟いた。 女は頷いて、チラッとボンドを見る。 ボンドとクリスタトスは、席を立つところだった。

                    「何よッ、いやらしい人ね!」 女が声を上げた。 「みんな、あんたには用心しろって言ってたけど、やっぱりそうなのね! こんな薄汚い店で食事をしただけで、あたしの事を売女扱いしないでちょうだいッ!」

                      女はハンドバッグをつかむと立ち上がった。 丁度出口に向かうボンドの通り道だった。

                      コロンボも立ち上がった。 怒りに顔を赤黒くさせている。

                    「何をッ、オーストリアの売女のくせに!」

                    「あたしの国の悪口は言わせないわ。 何よ、自分こそイタ公のヒキガエルじゃないさ」

                      女はそう叫ぶと、半分残っているワインのグラスを、まともにコロンボの顔にぶつけた。

                      コロンボが女に掴みかかってきた。 女は後ろに下がる。 ボンドのすぐ前だ。

                      コロンボはナプキンで顔を拭きながら、女に怒鳴った。 「二度とこの店に面を見せるな!」

                      そう言い捨てると、イスを鳴らして奥の事務所に引っ込んでしまった。

                    「タクシーを見つけるお手伝いをしましょうか?」 ボンドは女の肘に手をかけて行った。

                      女はボンドの手を振り払った。

                    「男なんてみんなブタだわ」 と、プリプリして言う。 が、ここで失礼だと気が付いたのか、「でも、あなたは・・・ご親切にどうも」 とぎこちない口調で言い足した。

                      そして女は、ボンドを従えて出口へと向かった。

                      支配人が飛んできて、神妙な顔でドアを開ける。 「失礼しました。 おかげで助かりました」

                      流しのタクシーが1台、速度を落とした。 ボンドは手を上げてタクシーを停めると、ドアをあけた。

                      女が乗ると、ボンドもすかさず乗り込んでドアを閉めてしまう。 窓を開けてクリスタトスを見上げた。 

                    「明日の朝に電話するよ。 いいね?」 そして返事を待たずにシートに収まってしまった。

                      女は向こう側の隅で小さくなっている。

                    「どこへやります?」

                    「ホテル・アンバサドリへ」

                      タクシーが走り出した。 しばらく沈黙が続く。 ボンドは女に向き直った。 「どうです? 部屋に帰る前に、気分直しに1杯」

                    「あなたは親切なかたですのね。 でも、今夜は疲れてしまったので遠慮しますわ」

                    「では、明日の昼食は?」

                    「私、明日はベニスだわ」

                    「それは奇遇だ。 こっちもベニスに行くんでね。 明日の晩に食事はどうかな?」

                      女がほほ笑んだ。

                    「あなたイギリス人でしょ。 私、イギリス人って内気なんだとばっかり思っていたのに、ずい分と積極的ね。 お名前は? 何をなさっているの?」

                    「そう、イギリス人さ。 名前はジェームス・ボンド。 小説家だよ。 冒険小説が得意でね、今、麻薬の密輸を背景にしたのを書いてるんだ。 ただ、その実情には疎いもんだから、いろいろとうろつき回ってネタを探してるんだ」

                    「それでクリスタトスなんかと食事をしてたのね。 あいつは麻薬の密輸であくどい事をやってるって、評判だわ」

                    「ほう、どんな評判なんだい?」

                    「私、詳しくは知らないわ。 皆が知っている程度の事よ」

                    「ところが、私が知りたいのは、そういった話しなんだ。 小説と言っても、私が書くのはまるっきりの作り話じゃ無くて、真相を土台にしたストーリーを書こうと思ってるんだよ。 だから、そんな裏話しは値千金なんだよ。 話しを聞かせてもらえたら、ダイヤのブローチをプレゼントするけどね」

                      ボンドは手を伸ばして、女の膝の上の手を取った。

                      タクシーがアンバサドリ・ホテルに近づいていた。

                      女は手を引っ込めると、ハンドバッグを取った。 ボンドの方を向いて、真剣な目線を向ける。

                    「いいわ。 会ってあげる。 でも、こんな話しは人なかでは出来ないわ。 私、午後はアルベロニ海岸で日光浴をしているわ。 半島のとっ先よ。 だから、あさっての午後3時にそこに来てちょうだい。 ポンポン船に乗って来ればいいわ。 黄色いパラソルが目印よ。 ノックしてリスル・バウム嬢がご在宅か尋ねてちょうだいな」

                      ホテルのポーターがタクシーのドアを開いた。 女に続いてボンドもタクシーを降りる。

                    「さっきは助けて下さってありがとう。 じゃ、おやすみなさい」 女は手を差し出した。

                    「じゃあ、おやすみ」 ボンドはその手を軽く握って、そう応えた。

                     

                    *****

                     

                      引き続き 「危険/後編」 へどうぞ。

                     

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                    007おしゃべり箱 Vol.52A−6 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「危険」ストーリー編/後編』

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                      「007おしゃべり箱」は映画007シリーズについてのあれこれをおしゃべりしています。

                       

                      「危険/後編」

                       

                      Risico ~ Latter Part

                       

                       『危険/前編』 からの続きです。

                       

                        その日、ボンドはアルベロニ行きの12時40分の渡し船に乗った。

                        桟橋で降りると、アルベロニ海岸まで、半島を回る様に半マイル歩く。

                        有名なこの半島の突端は、妙に人けの無い世界だった。

                        かつては豪奢だった別荘が、空き家になって並んでいる。 砂丘や藪が背の高いフェンスで囲ってあって、「地雷―危険」と書かれた札がドクロのマークと共に立っていた。 まだ戦争中の地雷の処理がそのままになっている様だ。

                        小道から海岸に出る手前に、朽ちかけた木のゲートがあった。 “アルベロニ海岸”と色あせた文字が見える。

                        ゲートをくぐると、荒れ果てた木の小屋が何軒か並んでいて、その向こうに砂丘が100ヤード程続いていた。 その先は静かな青い、鏡の様な海が広がっている。

                        海水浴客など1人も見えない。 夏の盛りでも、あまり流行っていないだろう。

                        ボンドは狭い踏板の上を歩いて、砂浜に出た。

                        左はずっと砂浜が続いていて、右の方は半マイルばかり先に半島の先端の防波堤が伸びていた。

                        浜辺の背後は砂丘で、その砂丘のはずれの500ヤード程先の所に、ポツンと1点、派手な黄色が見えた。

                        ボンドは渚づたいに歩いて行く。

                        女は黒のビキニ姿で、白黒模様のタオルの上に横たわっていた。 薄目を開けると、ボンドを見上げる。

                        ボンドは大きなパラソルの陰に、女の隣りに腰を下した。

                      「ちょっと早かったわね。 それに、ノックしなさい、と言ったのに」

                      「こんな砂漠みたいな場所で君のパラソルだけが、ただ1つの日陰だよ。 ランデブーには酷い場所を選んだもんだなあ」

                        女は笑った。

                      「でも、仕事で来たんでしょ。 あたしが麻薬の密輸の話しをして、あなたがダイヤのブローチをくれる。 それとも気が変わったのかしら?」

                      「そんな事は無いさ。 で、どこから始めようか?」

                      「そっちから質問しなさいよ。 何を聞きたいの?」

                        女は起き上がって膝を抱え込むと、用心深い目付きをボンドに向けた。 

                      「噂によるとコロンボと云う男が黒幕だそうじゃないか。 彼の事を話してくれないか? 仕事はどう采配してるとかね」

                        女は目を伏せた。

                      「そんな秘密をあたしがしゃべったとエンリコが知ったら、どんな目に合わされるか知れないわ」

                      「彼は気付きやしないさ」

                        女は真面目な顔をしてボンドを見つめた。

                      「ダメよ、ボンドさん。 あの人には解らない事など無いの。 それにあの人は、とても疑り深い人なのよ。 この私に尾行を付けていたとしても、不思議でも何でも無いわ」

                        女がボンドの袖に手をかけた。 怯えた様な顔をしている。

                      「ねえあなた、もう帰った方がいいわ。 こんな事をして、大変な間違いだったわ」

                        ボンドは辺りを見回した。

                        例の小屋が並んでいたあたりに、陽炎でチラチラしながら、3人の黒っぽい服の男達が見えた。

                        3人は散開した分隊といった様に横に広がって、歩調をそろえて歩いて来る。

                        ボンドは立ち上がった。 タオルに俯いている女を見下ろす。

                      「分ったよ。 コロンボに伝えてくれ。 こっちは奴の伝記をかいてやる、とね。 じゃあ、あばよ」

                        そう言い残すと、ボンド半島の先端に向かって走り始めた。 走りながらネクタイを外してポケットに突っ込む。

                        先端まで行ったら向こう側の浜を逆戻りすれば、人里に出られるだろう。

                        既にボンドは汗だくになっていた。

                        3人の男はマラソン選手の様に足を早めてきた。 女の側を通る時1人が手を上げると、女もそれに応えて片手を上げた。

                        ボンドは半島の先の堤防の上に登った。 追っ手との距離はそのままの様だったが、2人が柵を越えて横に展開していく。 2人はドクロのマークなど気にしていない様だ。

                        ボンドは海岸に沿った堤防の上を走った。

                        このままでは2人に追いつかれてしまう。

                        喉がゼイゼイする。 ズボンが足にベットリとまつわり付いた。

                        3人の追っ手と撃ち合いをして血路を切り開くか、そんな事を思った時、行く手の日差しの中にモリを持った一団が見えた。

                        その時、砂丘の方から腹の底に響く様な、爆発音が聞こえた。 砂丘のもう1人の男は、立ち止まってわけのわからない悲鳴を上げている。 そして頭を抱えて、しゃがみ込んでしまった。

                        ボンドは少し気が楽になった。 行く手の漁師たちはひとかたまりになって、ボンドの方を眺めている。

                        ボンドはわずかばかりのイタリア語を思い出そうとした。 「私はイギリス人だ。 悪者に追われている」 そして後ろを振り返った。

                        追っての男はまだ追いかけて来ていた。 前方の漁師たちは、ボンドの行く手をはばむ様に散開した。 そしてモリをボンドの方に向かって構えている。

                        漁師たちの中央に立っていたのは、エンリコ・コロンボだった。

                        ボンドは走るのを止めて歩き出した。 そして上着の下から拳銃を抜く。

                        コロンボはボンドが近づいて来るのを、じっと見つめていた。 20ヤードばかりになって、おもむろに口を開いた。

                      「そのオモチャはしまっておいた方がいいな、英国秘密情報部のボンド君。 こっちは最新式のガス式のモリ銃だよ。 下手に動かん方がいい」

                        ボンドは足を止めた。 すぐ傍らに鉄の杭が立っていたので、それに背を預けて腰を下した。 拳銃を膝の上で構える。

                      「モリを5本撃ち込んでも、お前さんの腹に飛んで来る弾丸は止められないぜ」

                        コロンボはニヤリと笑って頷いた。 ボンドもニヤリと笑い返す。

                        が、後ろから忍び寄って来た男にルーガー拳銃で頭を殴られて、気絶してしまった。

                       

                        意識を取り戻したボンドは、自分が船室のベッドに寝かされているのに気が付いた。

                        船はゆっくりとローリングしている。

                        1人の男がベッドの脇に立っていて、ボンドの額を冷たいタオルで拭いてくれていた。

                      「大丈夫ね、ともだち。 楽にする」 男はさっきモリを構えていた1人だ。 「元気あるか? 痛み直ぐに無くなる」 たどたどしい英語でそう言うと、ボンドの腕時計を見せて9時を示した。 「ボスが会う。 いいか?」 

                      「OK」 ボンドが応えると、男は船室を出て行った。 鍵はかけなかった。

                        ボンドはゆっくりとベッドから下りた。

                        タンスの上に、自分の持ち物が全て並べてあった。 が、拳銃だけは無かった。

                        どうも妙だ。 さっきの水夫の素振りからすると、コロンボは自分を敵として見なしていない様だ。 それにしては、自分を捕まえるためにずい分と手間をかけたものだ。

                        その上、偶然とは言え、手下の1人が死んでしまっている。

                        この友好的なもてなしの意味は何だろうか? ボンドと何か取引きをしようと云う魂胆なのだろうか?

                        9時になって、さっきの男が迎えに来た。

                        狭い通路を通て、サロンに案内される。 水夫はボンドを残して出て行ってしまった。

                        部屋の中央にテーブルがあって、料理や酒が並んでいた。

                        ボンドは船室の窓を開けて、顔を出してみた。 船は200トンぐらいの、元は漁船の様だった。 暗い海の向こうに、黄色い灯りが連なって見える。 どうやらアドリア海を陸に沿って走っている様だ。

                        ハッチのボルトがガシャンと音を立てた。 ボンドは窓から頭を引っこめた。

                        コロンボが階段を降りて来た。 肌シャツにデニムのズボン、履き古したサンダルといういで立ちだ。

                      「さあ、来たれ我が友よ」 コロンボは楽しそうに言いながら、イスの1つに腰を下した。 「何を飲む? ウィスキーか? それともシャンパンかね?」 そしてテーブルの上を指しながら「 こっちはボロニアきっての美味いソーセージだ。 オリーブはうちの自家製だよ。 あれだけ走ったんだから、さぞ腹も減っただろう」 そう言うとニヤリと笑った。

                        ボンドは勝手にウィスキー・ソーダを作ると、イスに腰かけた。

                      「私に会うためにずい分と手間をかけたもんだね。 あんたの店で私を引っ掛けた手口はお見通しだよ。 こっちはすっかり本部に報告しといたよ。 罠を承知で乗り込んでみる、とね。 明日の昼までに私が戻らなかったら、イタリアの警察だけで無く国際警察からも荒手がドカドカと押し寄せて来るだろうな」

                        コロンボは不思議そうな顔をした。

                      「罠を承知でやって来たのなら、なぜ私の手下から逃げようとしたんだ? 君をこの船に迎えに出しただけなんだぜ。 もっと友好的に出来たハズなんだぞ。 それを、こっちは腕利きの手下を1人なくすし、君だってもう少しで頭をぶち割られるところだったんだ」

                      「殺し屋みたいなツラつきの男が3人も出てくれば、あんたが何かバカげた事をたくらんでいると思うじゃないか。 第一、案内だけならあの女だけで充分だよ。 男どもは余計だぜ」

                        コロンボは首を振った。

                      「リスルはもっと君から探り出すつもりだったんだ。 今頃は君と同じくらいに俺の事を怒っているだろうな。 人生ってのはむずかしいもんだね。 こっちは誰とでも仲良くしようと思ってるのに、たった1日で敵を2人も作っちまった。 ついて無いよ」

                        コロンボは残念そうに言うと、ソーセージを厚く切ってイライラと口に押し込んだ。

                        そして、ボンドに険しい顔を向けた。

                      「君は、こんな手間をかけずに会おうと思えば会えた、なんて簡単に言うが・・・」 ここでコロンボは両手を広げてみせた。 「そんな事がこっちにどうして解かる? だいたい君は、俺を殺せと言われて引き受けただろ。 自分の命を狙う奴と、どうして友好的な会合なんて出来るんだ? そうだろう? さあ、聞かせてもらおうじゃないか」

                        コロンボは長いロールパンを取ると、がぶりと嚙み付いた。 その目は怒りに燃えている。

                      「何の話しだね?」 

                        ボンドがそう言うと、コロンボはかじりかけのロールパンをテーブルに放り出して立ち上がった。 

                        そして部屋の隅のタンスに行くと、ボンドを見つめながら引き出しからテープレコーダーを取り出す。

                        コロンボはそれをテーブルに持ってくると、スイッチを入れた。 

                      「・・・商売人らしくきちんと話しをしておこう・・・」 テープレコーダーからクリスタトスの声が流れ出た。 コロンボはテープを進める。

                      「・・・その組織の首領は極め付きの悪党でね。 そいつを始末せねばならない。 殺すんだ」

                        ボンドはウィスキーのグラスを取り上げた。 この最後の条件を考えるために、かなり間があったはずだ。 何て答えたんだっけ? テープレコーダーから自分の声が流れてきた。 「それは約束出来ないな・・・」

                      「この会話では、私が殺し屋だとは言えないだろう」

                        コロンボはテープレコーダーのスイッチを切った。

                      「俺にとっては殺し屋同然だ!」 コロンボは悔しそうに叫んだ。 「しかもイギリスの殺し屋ときた。 いいか、俺は戦争中は地下運動でイギリスのために働いたんだぞ! 勲章だって貰ってるんだ!」

                        コロンボはポケットに手を突っ込むと、銀の名誉市民章をテーブルの上に放り出した。

                        ボンドはコロンボを見返した。

                      「テープは最後まで聞いたんだろ。 あんたはイギリスの味方じゃ無くて、とっくに敵になっているんだ」

                        コロンボはイライラとテープレコーダーを叩いた。

                      「もちろん、全部聞いたさ。 だが、あんな話しはデタラメだ!」 そう言って拳でテーブルを叩いた。 「ウソも嘘。 大ウソだ! ひと言残らず真っ赤な嘘だ!」

                        ぐいと立ち上がると、イスが後ろにひっくり返った。 コロンボはイスを起こすと、テーブルの上からウィスキーのボトルを取り上げた。 「まあ、まるっきり嘘とは言い切れんかもしれんな」 そう言ってボンドのグラスにウィスキーを注いだ。 そして、ボンドに探る様な視線を向けた。

                      「なあ君、そもそも俺は密輸屋なんだ。 たぶん地中海で最も成功している密輸屋だろうな。 現に イタリアに入ってきているアメリカタバコの半分は、俺がタンジールから運んだ物だ。 貴金属の闇ルートは俺が握ってるし、ダイヤモンドもシエラレオネや南アフリカからの闇ルートもそうだ。 昔はオーレオマイシンやペニシリンなんかも扱ってたんだ。 逃亡犯の密航にも手を貸した事がある。 だがな・・・」 コロンボは再びテーブルを叩いた。

                      「だがな、麻薬やヘロインはやってないぞ! 今まで1度もやった事は無いし、これからも手を出すつもりは無い! 誓ってもいい」 「奴は君に自分の事を語ったんだ。 俺の名前の代りに奴の名前をあてはめればいいのさ。 アヘンからヘロインを精製しているのも、ロンドンヘ定期便みたいに密輸しているのも奴の仕業だ」

                        またずい分と、あからさまに話しをする男だ。

                      「私にその話を信じろ、と言うのかな?」

                      「では、君はクリスタトスの話しの方を信じるのかね?」

                        コロンボはニヤリと笑って、ボロニアソーセージを食い千切った。

                        ボンドはこの貪欲で陽気な海賊に奇妙な好感を感じ始めていた。 が、チョッと搦め手から攻めてみる。

                      「しかし、なぜクリスタトスはあんたを殺してくれ、なんて言ったのだろう?」

                      「そりゃ俺が知り過ぎている男だからさ。 それにイギリスへのルートは大きいからな。 それなりの大者として俺を選んだんだろう。 奴とは密輸稼業で時々ぶつかってるんだ」

                        ここでコロンボはいたずらっぽく笑った。

                      「君はボスから、ヘロインの密輸ルートをあばけ、とでも言われて来たんだろう」

                        ボンドは答えなかった。

                      「まあいいさ。 いずれにしても君はヘロインの流入をなんとかしろ、と言われて、このイタリアにやって来たわけだ」

                        ボンドは静に頷いた。

                      「では、あと数時間で君の任務は終わるよ。 君は信じないかもしれないが、夜明けには君の任務は終わるんだ。 君がイタリアまで派遣された真相が見られるぜ」

                      「私に代ってヘロインの密輸ルートを片付けてくれると言うのかい?」

                      「結果として、そうなるな」

                      「それで、いくら欲しいんだ?」

                      「金などいらん。 いずれはかたを付けなくてはならなかったんだ。 しかし、1つだけ約束してもらえないかね?」

                      「どんな事だろうか?」

                      「今の話しはここだけの事として欲しいのだ。 もし必要があっても、ロンドンの大将の耳に入れるだけにしてもらいたい。 こっちに影響が来ない様にして欲しいんだ。 いいかな?」

                      「それは約束しよう」

                        するとコロンボは立ち上って再びタンスまで行った。 引き出しを開けてワルサーPPKを取り出す。

                      「それならば、これは返しておくよ。 必要になるからな」 コロンボはそう言うとボンドに拳銃を手渡した。 「それに、ひと眠りしておいた方がいい。 朝の5時に集合だ。 みんなでラム入りコーヒーを飲むんだ」

                        コロンボは手を差しのべた。 ボンドはその手を友人として握った。

                       

                        サロンに集まった男達は誰もが一癖ありそうな面構えをしていた。

                        シャツの下にルーガー拳銃を差し込んで、ポケットにはジャックナイフを忍ばせている。

                        コロンボはそんな連中にラム入りコーヒーを配っていた。

                        コロンボは1人1人に声を掛けて、肩を抱いたり尻を叩いたりしながら、誉めたり小言を言ったりしている。

                        ボンドはコロンボが人生を楽しんでいるのが解った。

                        冒険とスリルと危険の人生。

                        確かに彼は密輸を行う悪党だが、そんな悪党ぶりを楽しんでいる。

                        コロンボは時計を見ると、男達を持ち場に向かわせた。 そしてボンドを促すと、ブリッジに上がる。

                        船は岩だらけの海岸線に沿って、ゆっくりと進んでいた。

                      「あの岬を回った向こうに港がある。 桟橋にはこっちと同じくらいのアルバニアの船が着いていて、ロール状の新聞用紙を荷下ろししているはずさ。 こっちは岬を回ったら全速力でその船に横づけして、乗り移る。 アルバニアの連中は荒っぽいからな、きっと撃ち合いになるぜ。 君もせいぜい上手く立ち回ってくれよ。 連中は我々の敵だが、イギリスの敵でもあるんだからね」

                      「いいとも。 承知した」

                        ボンドの声が終わらないうちに、足元の甲板がブルブルと震え出して、船は岬を回っていった。

                        コロンボが言った通り、石造りの桟橋に船が着いている。 向こう側の甲板の上に、新聞用紙の大きなロールが積んである。 

                        船尾からトタン屋根の倉庫に向かって、木の踏板がのびていた。

                        あたりには20人ばかりの人影があった。 中の数人が手を止めてこっちを見ている。

                        1人が倉庫に駆け込んでいった。

                        それを見たコロンボが、鋭く命令を下した。

                        ブリッジのサーチライトが点いて、アルバニア船に横づけする所を照らし出した。

                        コロンボは手下の男達と共に、一斉に乗り移っていく。

                        ボンドはアルバニア船を突っ切ると、桟橋に飛び降りた。

                        甲板の上で撃ち合いが始まった。 サーチライトが打ち抜かれて、あたりは薄暗い早朝の明かりだけになる。

                        敵の1人がボンドの目の前に落ちて来た。 ぶざまにのびたまま身動きしない。

                        倉庫の入り口からマシンガンが火を吹きだした。

                        いやに馴れた手つきで、バリバリッ、バリバリッ、と撃ちまくってくる。

                        ボンドは暗い船の影の中を走った。

                        マシンガンの男はボンドに気が付いて、バリバリと撃ってきた。

                        ボンドは踏板の下に転がり込む。

                        弾丸がうなりを上げてボンドの側を通り抜ける。 頭上の踏み板にもブスブスと突き刺さった。

                        ボンドは腹這いになって前に進んだ。

                        上の方で続けざまにドシンドシンと音がして、用紙のロールが踏板の上を転がっていく。

                        すかさずボンドは飛び出した。 マシンガンの男に狙いを付けて引き金を引く。

                        男はマシンガンの火をねずみ花火の様にまき散らしながら倒れた。

                        ボンドは倉庫に向かって走り出した。 が、すぐに足を滑らせてつんのめってしまった。

                        体が糖蜜の溜まりに突っ込んでだ。 ボンドは横に転がった。

                        ボンドの側をロールが転がっていく。 パシャッと黒い糖蜜をはね飛ばした。

                        ツーンとした甘い匂い。 1度メキシコで嗅いだ事のある匂いだ。

                        糖蜜じゃない。 生のアヘンだ。

                        ボンドは倉庫の入り口に駆け寄った。

                        中はひんやりとして静かだった。 新聞用のロールが、通路を残して整然と積み上げられている。 通路の突き当りにはドアがあった。

                        ボンドは死の匂いを嗅ぎつけた。

                        コロンボがドタドタと駆け寄って来た。

                      「中に入るな」 ボンドは高飛車に叫んだ。 「手下も入れるな。 こっちは裏口に回る」

                        返事も待たずにボンドは走って倉庫の角を回った。

                        裏側の角の所まで来ると、ボンドは顔をのぞかせた。

                        裏口に男が1人立っていた。 クリスタトスだ。 のぞき穴の様なところから倉庫の中を窺っている。

                        その手にはドアの下から伸びたコードの付いたスイッチが握られていた。

                        フードをたたんだクルマが1台、エンジンをかけたままクリスタトスの側に停まっている。

                        ボンドは膝をついてワルサーを構えると、引き金を引いた。

                        クリスタトスの足元で土が舞い上がる。 外れた。

                        クリスタトスが振り向いた。 次の瞬間、もの凄い爆発音と共に、倉庫の壁のトタン板がボンドをはじき飛ばした。

                        ボンドは慌てて起き上がる。 倉庫は奇妙な恰好にひしゃげていた。

                        クリスタトスはクルマに乗りこむところだった。

                        乱暴にギヤを入れると、土ぼこりを巻き上げて走り出す。 そのまま坂道を登り始めた。

                        ボンドは両手でワルサーを構えると、慎重に狙いを付けた。

                        続けざまに3発撃つ。

                        運転席のクリスタトスがガクンとのけぞった。 両手がハンドルから離れて左右に広がる。 そしてシートの向こうに崩れ落ちた。

                        死体がアクセルを踏み続けたままなのだろうか、クルマはそのまま道の轍に沿って走り続けていく。

                        ボンドは立ちすくんだまま、フラフラと坂道を登っていくクルマを見送った。

                       

                      「いよう! 友よ!」 コロンボが走り寄ってきた。 そしてボンドに抱きつき、左右の頬に接吻した。

                      「おいおいコロンボ、勘弁してくれ」

                      「おう! ダンディーなイギリス人ってとこだな!」 コロンボはゲラゲラとわらいながら怒鳴った。 「敵を恐れず、されど無謀を恐れる、か? だがな、あのマシンガン野郎をやっつけてくれなかったら、こっちは全滅させられちまうところだったんだぜ。 実際、手下を2人もやられちまったし、手負いも出たんだ。 そっちはあのクリスタトスの野郎を片付けたようだな。 俺は、エンリコ・コロンボはこの男に惚れたぞ。 堂々と言うぞ」

                        コロンボはボンドの肩をたたいた。

                      「ぼちぼち引き上げだ。 アルバニア船は船底を抜いたからすぐに沈むよ。 ここには電話は無いから警察が来る前におさらば出来る。 さっさと逃げ出すぜ。 それに、ベニスからこっち側には、ろくな医者がいないからな」

                        焔がひしゃげた倉庫をメラメラと舐め始めた。 甘い匂いのする煙を吐き出している。

                        アルバニア船は甲板が波に洗われていた。 ボンドとコロンボはその甲板を渡って、コロンビナ丸によじ登った。 船の上でボンドは握手ぜめになった。

                        2人が乗るとすぐに船は錨を上げて岬に向かう。

                        港には数人の漁師が立っていた。 みな険しい顔をしていたが、コロンボが手を振って叫ぶと、手を振り返してきた。

                        1人の漁師が何か怒鳴ると、一同はどっと笑った。

                        コロンボがボンドに振り返る。 「アンコナで観る映画より面白かったから、また来てやってみせてくれ、だとさ」

                        ボンドは急に肩の荷が降りた様な気分になった。

                        船室に降りると、裸になって体を洗った。 水夫の1人から剃刀と新しい服を借りて着替える。

                        改めて拳銃を手にすると、火薬の臭いが鼻についた。 思わず、さっきの活躍と大勢の死を思い出す。

                        ボンドは船室の窓を開けた。 海は朝日を照り返して光っていた。 黒々とした対岸は、今は緑色に輝いて美しい。

                        急にベーコンを炙る旨そうな匂いが漂ってきた。 ボンドは窓を閉めてサロンに飛んでいく。

                        コロンボがラム入りコーヒーを飲みながら、山の様なベーコン・エッグスを平らげていた。

                      「さっきの仕事で、クリスタトスの麻薬精製の1年分の原料を灰にしちまったんだ」

                        コロンボはトーストをかじりながらそう言った。 「ところで、面白い事を教えてやろう」 コロンボはボンドの目をのぞき込んだ。 「奴はヘロインの密輸で一文も資本を出してないんだ。 どうしてだと思う? 原料は全部ソ連からの贈り物なのさ。 コーカサスのケシ畑からいくらでも採れるし、中継にはアルバニアはもってこいだからな。 ヘロインをイギリスに向けてぶっ放す道具が、クリスタトスだったんだ。 奴はソ連の手先をしながら、カネを稼いでいたのさ」

                        コロンボは満足げに頷いてみせる。

                      「俺たちは力を合わせて、その陰謀を30分ばかりでぶち壊してやったんだ。 これで君は国に帰って、麻薬ルートは破壊した、と報告出来るぜ。 それに、このルートの出処はイタリアじゃ無いって真相を報告する事も出来るんだ。 相手はソ連だとね。 たぶんソ連の破壊活動の一部なんだろうな。 ま、俺にはそこまで詳しい事は判らんがね」

                        コロンボはそこまで言うと、笑顔を見せた。

                      「英国情報部のジェームス・ボンドよ、あんたはきっと、そいつを調べてこい、とソ連に行かされるだろうな。 もしそうなったら、君の仲良しのリスル・バウム嬢が案内役になってくれる事を祈るよ」

                      「仲良しとはどういう意味だい? 第一、彼女はあんたの女だろう?」

                        コロンボは首を振った。

                      「それがなあ、俺には仲良しは大勢いるんだ。 君だって報告書をまとめる為に、まだ数日はイタリアに居るだろう?」 コロンボは笑っている。 「俺の話しの裏付けを取ったり、アメリカ側の連中にだって真相を説明してやらねばならんしな。 そういう仕事の合間には連れも欲しかろう。 彼女がその役を買ってくれるさ」

                        コロンボは片目をつぶってみせた。

                      「もっとも、彼女にくだくだ言う必要は無いだろうね。 俺の勘では、リスルは君の帰りを首を長くして待っているよ」

                        コロンボはズボンのポケットを探ると、テーブルの上にカチンと投げ出した。

                      「理由はこれさ」 コロンボは真顔でボンドを見つめた。 「心から君に贈るよ。 たぶん彼女もそのつもりだろう」

                        ボンドは手に取ってみた。 厚い真鍮のプレートが付いた鍵だった。 

                        鍵には文字が彫ってあった。 アルベルゴ・ダニエリ 68号室。

                       

                      *****

                       

                        引き続き 「珍魚ヒルデブランド/前編」 へどうぞ。

                       

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                      profilephoto 007映画の熱烈なファンです。 それ以上でもそれ以下でもない、と自負しております。

                      記事の種別は、ツキイチ掲載の「Vol.シリーズ」と適宜掲載の「番外編シリーズ」と作品紹介の「特別編」の3種です。

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                      • 007おしゃべり箱 番外編(145) 「ジョン・ル・カレの映画化作品」
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 番外編(145) 「ジョン・ル・カレの映画化作品」
                        紅真吾
                      • 007おしゃべり箱 番外編(145) 「ジョン・ル・カレの映画化作品」
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 Vol.52A−9 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「ナッソーの夜」ストーリー編』
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 Vol.52A−8 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「珍魚ヒルデブランド」ストーリー編/後編』
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 Vol.52A−6 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「危険」ストーリー編/後編』
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 Vol.52A−4 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「読後焼却すべし」ストーリー編/後編』
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 Vol.52A−2 『原作小説紹介/薔薇と拳銃〜「薔薇と拳銃」ストーリー編/後編』
                        カルマン・フィッシュ
                      • 007おしゃべり箱 番外編(144) 「MGCの広告 in 1966」
                        紅真吾
                      • 007おしゃべり箱 番外編(144) 「MGCの広告 in 1966」
                        カルマン・フィッシュ

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